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第17回 自分でなくなる哀しさ

2012/12/25

人は脳によって、笑ったり、怒ったり、愛したり、恐れたり、憎んだり、昂ったり、わかったり、覚えたりするのである。脳がありとあらゆることを処理していく。そもそも脳とは、判断能力だけではなく、視覚や聴覚や嗅覚も司るものだし、やる気や運動神経といったすべてのものに関連している。様々な信号を身体の各器官に命令を伝える根本的なものである。

つまり「脳」とは、その人自身である。そう言う意味で言えば「こころ」と表現されるものは、心臓ではなく、脳なのである。心臓は「こころ」ではなく、ポンプということになる。そしてその「こころ」は記憶によって作られるのである。

脳が感じたあらゆる情報や感情を記憶できてこそ初めて、人間は現在を過去と未来につなぐことができるのだ。ところが脳の器質障害によって記憶が保持できなくなった人は、現在を過去と未来に繋げられなくなる。そうなると自分という存在がどういう存在であったのかがわからないし、将来自分が何をしようとするのかもわからないということになる。そして今置かれている現実の状況も理解困難となっている。このような状況に置かれることは非常に恐ろしいことだ。だから記憶を失った認知症の人たちが、常に混乱と不安の中にいるということは容易に想像がつくわけである。

つまり「脳」がその人自身であると同じく、記憶もその人自身なのである。

認知症は、この脳に何らかの障害が発生することである。定義上のそれは、後天的な原因の脳の器質的障害により、日常生活に支障が生じる状態が継続することである。アルツハイマー型認知症では、その症状は記憶障害から始まり、新しい記憶が保持できなくなり、やがて過去の記憶も徐々に失っていく。

つまり認知症とは、「自分が自分でなくなっていく」という一面があるのだ。それを恐怖として感じる能力が残っているか、残っていないかという問題はあるにしても、本来の自分ではなくなっていく変化なのである。

我々は、認知症の人達と関わるとき、この「自分でなくなる哀しさ」、「自分でなくなる怖さ」を理解して、そうした人たちの「こころ」を守るお手伝いをしなければならないと思う。認知症だから仕方ないと諦めるのではなく、自分が自分でなくなっていく人々の内面を理解しながら、そうした人たちに何が必要なのかを常に考え、あなたはここに確かに存在しているということを、それらの人々に訴える心の寄せ方が必要なのではないだろうか。

あなたはそこに確かに存在しています。

それはあなたが必要とされているからです。

あなたは決して、いなくて良い存在ではないのです。

認知症の人たちは、そういうことを確かめることができる何かを求めているのではないだろうか。我々がその気持ちにしっかり寄り添うことが出来る存在になり得るためには、我々自身が、それらの人々の存在を愛おしく思い、その存在に敬意を払うことからしか始まらないのではないだろうか。

だから・・・。やはり福祉人とは、愛する人でなければならないと思う。

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