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第28回 荒野を超えた先に虹は見えたか

2013/11/25

誰にでも幸せになる権利はある。しかし、誰しもが等しくそのチャンスを持っているというわけではないような気がする。

30数年前、僕が出会った少年・少女たちは、自らの責任ではないところで、重い十字架を背負わされ、過酷な運命から抜け出せないでいた。あの子達に、神様は等しく幸せになるチャンスを与えてくれているのであろうか・・・。幸運の女神は、あの子達のその後の人生に微笑みをかけてくれているのだろうか。

実習先の児童相談所で出会った、一時保護されていた幼い兄弟は、ごく普通の仲の良い兄弟にしか見えなかった。

兄が小学6年生、弟が小学3年生であったと記憶している。まだあどけない表情の二人の少年が一時保護されている理由は、「盗癖」であった。彼らの運命が狂い始めたのは、彼らの母親が失踪した時からである。男を作って家を飛び出した母親の行方は、杳(よう)として知れず、父親はそれ以来酒に溺れ、兄弟の面倒をみなくなった。彼らは幼い身であるに関わらず、家で食事さえ出されなくなり、外でお腹を満たさねばならなかった。

しかし、いつも誰かが、彼らに食物を与えてくれるわけではない。やむを得ず幼い二人の兄弟は、人の家に勝手に入り込んで、食べ物やお金を盗むという行為を覚えた。

彼らの暮らしていた炭鉱町は、すべての住人が炭鉱会社の社員と、その下請け・孫請け会社の社員であり、各地区の社宅には同じ会社の人々しか住んでいなかったのだから、家に鍵をかけて外出するという習慣がなかった。幼い兄弟にとって、盗みを働くのには容易な環境であったが、そんなことがいつまでも続けられるわけがない。やがて住民に見つけられた兄弟ではあったが、その家庭環境を知っている地域の人たちは、幼い兄弟の罪を問うようなことはせず、親類に連絡を取り、やがて兄弟は親類宅に引き取られて、その土地を出た。この時点で、児童相談所の介入はまだなく、小さな炭鉱町の人々だけが知る問題であった。

児相が介入せざるを得なかったのは、その兄弟が親戚宅に引き取られた後のことである。

親類にいじめられたわけでもなく、食事の心配もしなくてよくなり、学校にも普通に通うことができていたにもかかわらず、彼らの盗癖は止まなかった。何度注意しても、人のものを盗んでしまう兄弟に、引取り先の親類も堪忍袋の緒が切れたのか、彼らを愛せなくなった。

そんな時に児相が介入し、一時保護から養護施設へという措置が取られたケースである。

彼らが盗みを覚えたのは、生きるためである。そしてそうさせたのは、彼らの親の責任であり、親の罪である。彼らが新しい暮らしの場を得て、食事の心配をしなくてよくなっても盗みをやめられなかったのは、彼らの心に染み込んだ恐怖心ではないのか。今、食べておかねば、明日は食べられないかもしれない。自分自身で食を確保しなければ、他人任せでは、明日必ず食が得られる保証はないという恐怖心を、幼い心に刷り込まれてしまった結果ではないのか。

彼らは、お互い兄弟以外に信用できる人間がいなくなったのではないか。だからこそ二人の結束はより強く、他人に対しては決して心を開かないようになってしまったのではないだろうか。

それは彼らの持って生まれた性格や性質とは全く関係のないものだ。大人によって歪められたものである。それは許されざる罪である。

彼らも今元気なら30歳を過ぎた年になっているはずだ。どんな人生を歩んでいるのだろうか・・・。

父親に犯されて妊娠してしまった中学生もいた。彼女のお腹が大きくなり、周囲の人が妊娠に気がついたとき、既に中絶の出来る時期ではなくなっていた。

児童福祉士との面接の際に、「酒を飲んで酔っ払って女房と間違えた」とうそぶく父親の言葉に吐き気を覚えた。

そんな父親の元を離れ、母親と暮らす家で、僕は母親と彼女の話を、児童福祉士の背中に隠れるようにして聞いていた。そこではフィクションの世界としか思えないような現実があることを知って愕然とした。せめてもの救いは、その少女のあどけない表情に、笑顔が失われていなかったことだ。

おそらく彼女は、その後出産し、産まれた子は、彼女の子ではないとして育てられたのであろうが、戸籍を改ざんすることはできないから、いずれその子が成長して、自分の出生の事情を知ることになるかもしれない。生まれながらにして、そのような過酷な運命を背負う命が誕生するということを考えると、僕は胸が張り裂けるような思いを持った。

人はいつも正しくは生きていけないのかもしれないが、せめて大人が子供の心を壊すことがなくなって欲しいと、その時、切に思った。子供の心を壊す親や大人を真から憎んだ。

子供を産んだら、親としての責任を果たせと言いたかった。いつまでも男と女をやってないで、きちんと親になれと言いたかった。

この世に生まれでた時には、子供たちの心は真っ白なキャンパスである。そこに汚れた泥を塗りつけた大人たちによって歪められた人々の人生にも、やがて花が咲いたであろうことを信じたい。彼らが雨に打たれながら荒野をさまよい歩く先に、虹を発見し安住の地を得たであろうことを信じたい。

彼らが、今、幸福であることを願ってやまない。

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