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第53回 高速逆走高齢者に認知症の人は12.1%しかいないという数字の欺瞞

2016/01/18

高速道路を逆走する車が増えている問題について、認知症の高齢者が増えていることと絡めて、そのことを論じる際に、認知症が逆走の原因であるかのように語るのは問題であるとする意見がある。高速道路の逆走は、認知症だけではなく、様々な要因が絡んでおり、認知症の人が増えている結果として、そのことを論ずることで、正しい対策が取れなくなるという批判が正論のように語られることが多くなった。そして、認知症であっても何にもできなくなるわけではないので、運転ができる人は免許を取り上げるべきではないし、大いに運転してもらおうということが声高々に唱えられている。

しかも、この論調に拍車をかけているのが、漫画家のくさか里樹さんの、「ヘルプマン 高齢ドライバー編 高速道路を逆走するのはみんな認知症なのか!? 実際はわずか12.1%だ!!」である。介護の仕事をしている人の中にも、この本のタイトルをフェイスブックなどで紹介して、認知症と交通事故を絡めて論ずる必要はないかのようにコメントしている人がいる。・・・馬鹿者と言ってやりたい。

認知症ドライバーによる事故は、確実に増えているし、そのことで尊い命を失っている人から見れば、「わずか12.1%だ」という論旨は、命を軽んずものでしかない。よく考えてほしい。事故原因と言うのはケースごとに様々であり、病気の症状で事故に結び付く例など、飲酒やわき見などと比べると、ずっと低いのである。そうであるのに、高速道路の逆走という問題に限って言えば、認知症と言う特定の症状によるものが、わかっているだけでその原因の1割以上を占めているのである。この数字が「わずか」と言えるほど低い数字なのだろうか。

そもそも12.1%と言う数字は、なんのデータに基づき、それはどのような調査によって導き出された数字であるかを考えてほしい。この数字は2014年に、全国の警察が把握した数字である。それによると高速道路での車の逆走は224件で、運転手が認知症だったケースが12.1%に当たる27件に上り、その内訳は70代が14件、80代が9件、60代が4件だったというものである。しかしこの調査の方法は、認知症であるかないかを、家族からの聞き取りで判断したものであり、医師による確定診断ではないということに注意が必要だ。つまり高速道路を逆走した人について、その事案のあとに、認知症については専門家と言えない警察官が、事案を起こした人の家族に、「〇〇さんは認知症でしたか?」と聞き取り調査を行って、「多分そうです」とか、「そんなことはないです。」という家族の判断結果を集めたものにしか過ぎないのである。回答する家族も、認知症に対して深い知識があるわけではない。我々がよく経験する事例では、我々から見て明らかに認知症による混乱症状が出ており、対応が必要であるケースであるにもかかわらず、そのことに家族が気付いていないことにより、症状が進行・悪化して、やっと発見できる認知症の人は少なくない。アルツハイマー型認知症の場合は、急性発症するわけではないので、認知症の初期症状であることに気づかない家族は実に多いのである。

スーパーで万引きを行い市役所を懲戒免職となり、その後その行為が認知症によるものであることを争う裁判で勝訴し、処分撤回された中村成信氏の著書、「ぼくが前を向いて歩く理由」(中央法規)でも、氏は万引きと言う行為に及ぶ2年前から、症状は出現していたのに、本人も家族も、それが認知症によるものと気づかなかった体験を書かれている。(同書54頁)このように「認知症ではない」と家族が回答したケースも、よく調べれば認知症であったというケースは必ずあるのだろうと思う。

なぜなら認知症の人が運転ができる理由は、「手続き記憶」が残ることにより運転行為を可能としているもので、それは認知症の発症初期である可能性が高く、そのことから家族が気付いていない例が多いからである。(参照:手続き記憶だけでは運転できない車を作ってください

しかも認知症の専門家ではない人は、「運転ができるのだから、認知症であるわけがない」と思い込む傾向が強いのである。このことから言っても、12.1%と言う数字には疑いを持つ必要があるといえる。むしろこの調査で注目すべきは、高速道路を逆走する人のうち67.9%の152件が65歳以上の高齢者が運転したケースであるという点である。これは客観的事実としての数字であるが、逆走車の7割に近い人が高齢ドライバーであるということは、高齢であることによって逆走するリスクが高まるという結論となり、その理由は、運動能力や動体視力の低下よりむしろ、判断能力の低下に起因するとみるのが当然で、そこには認知症によるリスクというものがクローズアップされて然るべきである。

認知症ドライバーの事故により身内を失ったにもかかわらず、運転当事者はその事故の記憶さえなく、責任能力を問えないということに憤っている人々に、「12.1%という数字は、わずかでとるに足らない」と言えるのだろうか。車を狂気に変える判断能力の低下を見逃してよいのだろうか?

認知症の人は何もできなくなるわけではないから、残された能力を最大限に発揮できるように支援しようという考え方は認められるべきである。むしろその考え方はもっと広く浸透されるべきとさえ思う。しかしそれが運転行為であるならば話は別である。誰かの命の危険性を無視して、そういう行為を続けさせることは許されるのか?アルツハイマー型認知症は、必ず進行するのである。今運転できているからと言って、1時間後に同じ運転ができるとは限らないのが、この病気の特徴である。そのようなことが分かっているのに、運転してよいというのだろうか?それは許されない。むしろ認知症と診断されたのであれば、運転動作・運転行為ができていたとしても、即刻運転をしないという判断をして、免許証を返上すべきである。運転できる状態は、そういう判断ができる可能性がある段階で、そうした判断を促す方が、本人と家族のためにもなり、社会秩序を保つものだ。

ヘルプマン高齢ドライバー編を読んで、運転することも有りだと思い込む人が一人でも増えれば、それは尊い命が一つ以上奪われるリスクが増えるという意味である。そもそも運転し続けることが残存能力の活用の唯一の方法ではあるまい。認知症の人の行為を奪うべきではなく、運転行為ができるうちは運転させるべきだという論理が許されるのなら、飲酒しても酩酊していないなら運転してもよいという論理も正論化されるだろう。漫画ヘルプマンの論理は、ビール一杯くらい飲んで、運転を制限するのはおかしい、と言う論理と変わりない。

人の命がかかる問題に、そのような理屈は通用しないのである。この本のタイトルは非常に残念である。もっと命を大切にする漫画を描いてほしい。

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