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第55回 BPSDという表現をやめよう

2016/03/14

認知症に関する研修会で、講師がさかんにBPSDという言葉を発するのを聴くことがある。しかし、きちんとその意味を説明していない講師がいたりして、そのことに対し苦々しい思いを持ってしまう。そもそもなぜBPSDなどという舌を噛みそうな略語を使わねばならないのか?そしてBPSDという略語をそのまま受け入れて、介護サービスの場でその言葉を使っている職員は、その意味を正確に理解して、そうした症状に正しく対応しているのだろうか。

僕は自施設の職員に、BPSDという言葉を使わせない。そのことに関しては、「行動・心理症状」と表現するように指導し、さらに認知症の人に表れている現在の症状が、行動症状なのか、心理症状なのかを分けて考えるように指導している。これは言葉狩りではなく、ケアの質につながる問題なのだ。認知症の人の症状をきちんと表現することで、正しい症状理解につなげ、適切な症状対応につなげたいという意味なのである。

認知症の人の症状の中で、かつて中核症状に対して、「周辺症状」という表現方法があった。中核症状とは脳の細胞が壊れることが原因で起こる記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下のことを言い、脳の変性、気質変化そのものが原因で生ずる症状である。この症状は、治療やケアにより改善するものではない。つまり現在の医学やケアの手が届かない症状ともいえる。

一方で周辺症状とは、中核症状がもたらす不自由のために、日常生活のなかで困惑し、不安と混乱の果てにつくられた症状であり、暮らしのなかでケアによって症状改善が期待できる症状のことを言い、それは認知症の人にとっては、決して問題行動ではないという考え方から、「周辺症状」とされた経緯がある。しかしこの周辺症状という言葉がわかりにくく、その意味を正確に表していないという批判があり、この言葉に替わる表現として、BPSDという言葉が盛んに使われるようになった。それは、Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの頭文字をとった表現方法で、その意味は、周辺症状といわれている行動には、徘徊や攻撃的行為などの「行動症状」と、妄想や幻覚・誤認などの「心理症状」の2面性があるという意味である。つまりBPSDとは、中核症状が背景にあって、それに加え何らかの要因により混乱が生じることにより、それがストレスとなり、不安感・焦燥感として現われる「行動・心理症状」という考え方なのである。そうであれば、「行動・心理症状」というわかりやすい日本語表現があるのだから、この言葉を使わない理由はない。BPSDなんて表現はいらないのである。英語の頭文字をとった略語を使っておれば、専門性が高いなんてことはない。それよりケアの質に繋がる正しい症状理解に結びつく可能性が高い言葉の方が、専門職として使いこなすべき表現方法である。

行動面と心理面に分かれる症状を理解することで、我々はその時々の認知症の人の「混乱」に思いが及ぶだろう。その混乱を理解して、そういう状態に置かれている人の状況をあるがままに受け入れることが「共感的理解」や「受容」につながる。そうであれば、行動・心理症状に対応することが、単なる対症療法だとか、小手先の対応だとかという変な理解にはならない。認知症の人は、今現在、混乱していてどうしてわからないという状態が、今一番解決してほしいことなのだ。その時に、何度も同じ話をすることに、何度も同じく相槌を打ってくれる誰かが必要な時もある。それは対症療法でも、小手先の対応でもなく、もっとも求められていることである場合が多い。勿論その前提には、認知症の人を一人の人間として見つめる視点が求められる。認知症という冠をつけることなく、一人の人間として見つめる必要がある。しかし、行動症状や心理症状になって表れてくる混乱に、どう適切に対処するのかということは認知症の人の安定には重要なことであり、そうした状況への対応の積み重ねが、認知症の人が信頼して寄り添うことができる支援者となり得る方法論なのである。

もともとBPSDという表現は、医師が使っていた表現方法である。認知症の関連する講師を医師が勤める機会が多かったことから、この表現が介護現場にも浸透していったのではないかと思われる。しかし介護発の認知症の人への対応方法が教科書にもなる今日、表現方法も介護発であってよいと思う。なにがなんだかわからない表現より、症状理解につながる表現方法を用い、そこから求められる実践論を構築していかないと、いつまでも介護は医療の下請け的な役割を押し付けられ続けられる存在で終わってしまうだろう。

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