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第64回 「自立支援介護」新設の提言案に異議を唱える

2016/12/12

政府の未来投資会議は、介護保険で提供できるサービスに「自立支援介護」という枠組みを新たに設けて、高齢者の要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する制度の導入を検討するよう求める提言案をまとめた。この目的は社会保障費の抑制であると報道されている。つまりこの評価を取り入れることによって、介護報酬の総額は下がるのであり、「高齢者の要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する」という意味は、基本サービス費を下げた上で、要介護度の軽度変更実績への加算で対応するという意味に取れる。

その提言案には、「入浴や排泄など、日常生活の支援が中心で高齢者の自立支援につながっていない。」と指摘し、「自立支援介護」という枠組みを新たに設けて、その具体的な内容を取りまとめ、自立支援を提供しない事業者への介護報酬を減らすとしている。具体的な内容の中身は今後示されると思うが、リハビリテーション・機能訓練という方向に向かうような気がしてならない。その上で、要介護状態区分の軽度変更実績が評価されるということになるのだろうか。

これが実行されると、特養の介護報酬は大幅に下がることになりかねない。現在、特養の入所対象者は、原則要介護3以上である。平均年齢も80歳を超えている施設がほとんどであることを考えると、症状が固定化した要介護3以上の高齢者が、今後機能訓練等によって要介護度が軽度変更される可能性は少ない。多くの利用者が、要介護4もしくは5に重度変更していくか、現在の要介護度で固定化する傾向が強い。しかしこれは施設のサービスの質が悪いからではなく、自然の摂理の問題といえる。

自力で起き上がりや立ち上がりのできない人であっても、暮らしの質を向上させようとして、離床を促進し、日課活動などへの参加支援を行いながら、心身活性化に努めているわけである。医療機関で、終日ベッドの上で横たわって天井しか眺めていなかった人が、特養に入所してからベッドから離れて日常生活が送れるようになり、表情が豊かになるという例は多い。自宅からほとんど外出機会のなかった人が、特養に入所して何年かぶりで外出して桜を見ることができたという人もいる。入浴や排泄支援が適切になされて、褥瘡が改善したという人もいる。だからといって、それらの暮らしの質の向上が、必ず要介護度に反映するということはありえない。

脳梗塞を繰り返して、四肢麻痺の人が、栄養管理や食事支援が適切に行われ、入浴や排泄支援が適切にされて、身辺保清がなされ、皮膚障害がなく、健康を保って暮らせているとしたら、それは自立支援といえないのだろうか。そういう意味で、「入浴や排泄など、日常生活の支援が中心で高齢者の自立支援につながっていない。」という指摘には大いに異議がある。重度障がいを持ち、自力で日常生活が営むことができない人を、価値の低い存在とみなす恐れさえある。

確かに介護保険制度の理念の一つは、「自立支援」であるが、そもそも自立の度合いを要介護状態区分の軽度変更に求めるのはいかがなものだろうか。障がいを持った後期高齢者であれば、自立支援の結果は、必ずしも要介護状態区分の軽度変更ではなく、現在の要介護度を保つことであったり、重度変更に至る期間を引き延ばすということでもあるわけだ。それを全く評価せずして、軽度変更だけを評価するのは片落ちの評価といわざるを得ない。

入浴や排泄など、日常生活の支援を評価しない先には、生活の質を無視する評価軸しか見えず、ADLからQOLの視点という過去のサービス向上に逆行するものであるといわざるを得ない。医学的・治療的リハビリテーションを否定するものではないが、それだけが人の価値を高めるものではないし、急性期や回復期を過ぎた状態の人に、必要な機能訓練とは、手足を曲げ伸ばしすることでもなく、平行棒につかまって歩くことでもなく、日課活動に参加して、他者と交流したり、食事をしっかりとって、適切な排泄支援を受けることであったりするわけである。

そうした支援を、自立支援ではないと切り捨てる人たちの介護のイメージは、きわめて貧弱・貧困なものであるとしかいえない。こういう人たちが国の高齢者介護施策を決めるのだとしたら、この国の高齢者介護の行く末は、きわめて暗いものにならざるを得ない。

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