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第65回 喜怒哀楽を包み込む居住系施設

2017/01/30

居住系施設のホームページなどに、「明るい笑顔があふれる施設」などという表記がされていることがある。しかしそれは嘘だ。そのような明るい笑顔ばかりがあふれている施設は存在しない。施設の中には、笑顔のほかにも、様々な感情が常に存在し続けている。だがそのことを恥じる必要もない。居住系施設が、利用者の笑顔を追及し、すべての人が幸福に暮らせるようにサービスの質を高めようとすることは当然あってよいし、笑顔あふれる施設作りという理念を掲げることを否定する何ものもない。

しかし人の感情は様々だ。良かれと思って僕たちが対応した結果に、すべて肯定的な反応が返ってくるわけではない。それもごく自然なことである。そのときに笑顔あふれる施設という看板やキャッチフレーズは、僕たちの目を曇らせるだけだろう。

むしろ笑顔以外の表情を作るときの、利用者の感情を見逃してはならないことを僕たちは意識する必要がある。そのためにはその感情を否定しないことである。自分の施設ではそのような負の感情を利用者に与えることはないなどと決め付けないことが大事だ。目指すものが常に実在するわけではないし、ないものが実在するかのような表現は、顧客だけでなく、内部の職員にも間違った意識を植え付けかねない。むしろ僕たちは、そこには様々な感情が存在し、笑顔の裏に隠された様々な感情が生まれ続けることを常に意識すべきである。

僕たちがどんなに暮らしやすい施設にしようと努力したとしても、複数の人間が暮らしている場所には、そこに暮らす人々の負の感情が必ず交差している。それは喜怒哀楽の感情を持つ人としてごく当たり前のことだ。人はいつも笑って過ごすわけではないのだから・・・。こんなに頑張って、こんなにいいケアを提供しているのだから、きっと利用者みんなが満足しているだろうというような考え方が一番良くない。そうした考えは、利用者の感情変化に鈍感となり、利用者が今感じていることと意識のずれを生じさせる。そのことは利用者への関心が薄れるということと同じ意味である。それがなぜ恐いかといえば、利用者の負の感情を見逃す先に、必要なケアの放棄という状態が作り出しかねないからである。

お正月の居住系施設には、たくさんの利用者の暮らしがある。そこは恵まれた環境で、行き届いたケアサービスが提供され、おせち料理を始めとした豪華でおいしい食事が連日のように提供されているのかもしれない。職員は誠心誠意の心で接しているのかもしれない。しかし同時にそこには、自分の家で新年を迎えられない人の悲しみやあきらめがあるかもしれない。面会に来ない家族に対する憤りがあるかもしれない。周囲にたくさんの人々がいたとしても、身内が一人も居ない孤独に打ちひしがれている人がいるかもしれない。

笑顔の裏側に隠された慟哭があるのかもしれないのだ。僕たちはそうした心の機微を常に意識して、その心にそっと寄り添う気持ちを忘れない人であるべきだと思う。僕たちがそのときに、すべてのさびしい人々の心の拠りどころになるなんてことはできないし、すべての哀しさを優しさで包み込むこともできない。自分はさほど偉大な存在ではない。しかしさびしい気持ち、哀しい心、怒りの感情、あきらめの思いを持つ人々の心のありようを想像し、その思いを受け止めて、その思いに共感することはできるだろう。そのときにはじめて、様々な思いを持った人が求めるものが、少しだけ理解できるのではないだろうか。

居住系施設のサービスとは、幸せと笑顔を押し売りすることではなく、人の喜怒哀楽を包み込んで、受容し、そういう思いを持つ人々を思い続けることである。笑顔を作るより先に、悲しい人やさびしい人を愛することである。その先は僕たちがつくるのではなく、僕たちが寄り添う人々が自らつくりだすのだ。

路傍に咲くあかい花は、ただそこに美しく咲こうとするだけで、決して誰かに何かを与えようとしているわけではない・・・。

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