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第72回 気づきは才能ではない

2017/08/21

対人援助の場は、人の感情が様々に交差する場所である。そこで僕達は、うごめく感情の渦に巻き込まれないように冷静に対処すると同時に、そこで行き交う感情に敏感になり、見えない涙を見逃さないようにしなければならない。

人は誰も、自分がいる場所に、たくさんの哀しみが存在することを欲しないだろう。欲しないからこそ、そんなことはないという否定的な感性で物事をとらえてしまい、無意識のうちに哀しみや苦しみなどの、否定的感情を見ないようにしてしまうことがある。そこに存在する涙を見逃してしまうことがある。しかしそれでは現実を変えることはできない。あるものをなかったことにしたり、臭いものに蓋をするのではなく、正しく現状把握して、変えなければならないものは変えようとせねばならないし、失くさなければならないものは取り除かねばならない。

介護施設で大きなイベントをするときに、そこに参加して喜んでいる人の感情にだけ触れようとするのは間違っている。イベントが行われているその同じ場所で、そこに参加することなくベッドの上で横たわっている人は、今何を感じ、何を思っているのかを考えなければならない。アトラクションを観て笑っている人の傍らで、つまらなそうにしている人や、苦しそうな表情の人がいるのはなぜかを考えなければならない。

大きなイベントの後で、職員がそれをやり切ったという充実感を味わっているまさにその時に、「祭りの後の寂しさ」に表情を曇らせている人はいないかを考えなければならない。トイレ介助のたびに、長い時間廊下に並ばされる日常を強いられている人たちの表情はどうだろう。その時に、その人たちはどんなことを考えているのだろう。食事をする愉しみとは程遠い食事摂取をされている人は、そのことをどう思っているのだろう。プライバシーのかけらもない、排せつ介助や着替え介助を受けている人たちは、恥ずかしさを感じていないのだろうか。それは慣らされて飼われていろといってもよい状態ではないのだろうか。

年下の介護職員にタメ口で話しかけられ、それに対して丁寧語で答えている利用者の思いはどこにあるのだろう。サービス提供者の都合で、午前中から入浴させられている人が、この暑い最中に午後から汗をかいても、その汗を流す機会もない暮らしを強いられている人は、そのことに何の不満も持っていないのだろうか。そもそも運営基準で入浴支援は週2回以上と定められているからと言って、週2回しか入浴できない生活を強いられている人は、それで満足しているというのだろうか。

よろこびの表情、うれしさの感情だけではなく、辛い・苦しい・哀しいという感情に、誰よりも敏感にならねばならないのが、僕たち対人援助に関わる者の役割ではないのだろうか。しかしそうした気づきは、才能・能力によって左右されるものではないと思う。そうした気づきは、僕たちの目の前にいる一人一人の方々への関心の寄せ方で左右されるものだろうと思う。対人援助の職業に携わる限り、専門職の姿勢として、一人一人の利用者に関心を寄せることが何よりも大事だ。

人の痛みがわかることは特別な才能ではなく、目の前の人々に関心を持てばよいだけのことなのである。

無関心は最大の罪である。

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