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第272回 FBの公開性とマナー

2012/04/16

東日本大震災でFacebookやTwitterなどのSNSの効用が知れ渡ったので、筆者も遅ればせながら昨年3月に双方に登録してあまり熱心ではないが、ともかく登録している、というタイプのユーザーになっている。書き込みよりも読むことが中心で、メーリングリストのころと同様の「ROM=リード・オンリー・メンバー」で申し訳ない次第だ。それでも散策途上の季節を知らせる自然の変化を切り取った写真、あるいは家族の貴重な成長記録や記念行事、知人との会食の楽しい写真などに心なごむ幸せを味わっている。あるいはさまざまな議論や知見の披露、感銘した書評など、見聞を広めてくれる刺激もある。ROMでも大いに得るところがある。

ところで、メーリングリストと違って実名原則のFacebookだが、しばしば、神経を逆なでする書き込みにも出くわして鼻白む思いもする。

特に、出会った人を見下して批評する書き込み、あるいは、あからさまに他人を罵倒する書き込みに触れると、書き込んだ人の品性を疑うし、書かれた当の対象の人物は多分、「友達」ではないので、反論の機会もなく名誉棄損に相当する事態が進行しているのだから、このSNSは下手をすると人を傷つける凶器となりかねない。

メーリングリストでも罵倒のし合いはあった。その際には、対象となる相手もリストにいるので、口汚い言葉の投げ合いにはなるが、反論の機会はあって、まあ、フェアな論争と言えなくもない空間だった。しかし、Facebookで見る、他人の悪口は、概ね、「陰口」に似た類で始末に悪い。自分の日記に書くような感覚で、ごく親しい仲間同士、飲み屋のカウンターで酒のつまみに第三者に八つ当たりのように怒りをぶつける、という文章に出くわす。

実はFacebookは特定ではあるが、多数のユーザーの目に触れているので、公道で大きな拡声器で他人の悪口を怒鳴りまくっているのに等しい。書き込んだ当人の品性や人間性は地に落ちるのだが、そんな事にも気が付かずに、吠えまくっているユーザーも散見される。他人を貶(おとしめ)る放言ほど、当人にとって胸がすっとすることはない。しかし、それが攻撃を向けられた相手、攻撃を仕掛けた自分、その双方に何をもたらすか。その程度は理解できるリテラシーを持ってから、Facebookに向かわなければならないのではないか。大の大人に、今さら教育と言っても無駄だが、これからネットの世界に深く入り込んでゆく子供たちには、ぜひ、ネットワークのマナーを習得する教育が必要ではないか。

罵倒された対象の人物もひどく傷つくが、誹謗や罵倒を書き込んだユーザーは社会的にもっと孤立することになりかねない。今さらながら、きちんとしたネットワークマナーの習得の重要性を感じる。マナーを習得できているか、自信のない筆者としては今しばらくROMを続けていたい。

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