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第278回 「原発事故は人災」とはどういう意味か?

2012/07/17

国会の原発事故調査委員会が、「原発事故は人災」という報告書を出したが、内容に、少し違和感を持った。報告書は「首相官邸の対応について『発電所への直接的な介入は指揮命令系統の混乱を拡大する結果となった』」と指摘しているが、もしそうした介入などがなければ、原発事故は起こらなかった、ということなのだろうか?

結論から言えば、首相官邸の介入があろうが、なかろうが、事故は防げなかったし、その後の水素爆発をはじめとした事故も防げなかった、というのが率直な実感である。もう一度振り返ってみると、事故は巨大地震が起こしたものであり、想定外の巨大津波がさらに拡大したものである。人間の側では手の打ちようがなかった。人知を超えた災害。それが、今回の事故の本質である。

報告書の底流に流れている「きちんとした体制を事前に作っておけば、原発事故を防げた」ということは幻想なのではないか。いくら最悪事態を想定したと思って、人間の心理には本当の最悪は見たくないという心理的ブレーキが働くので、甘い想定になってしまう。希望的観測の積み上げなので、実際にトラブルが起これば現場は混乱する。この報告書は「最悪を想定できる」ということを前提にしているので、こうした議論になってしまったのだろう。「人知」を過大評価しているのではないか。

さまざまな厳しい条件をクリアしている原発の運転そのものが人知を超えた技術なのである。人類が自ら操作できる技術の限界について、われわれは過大評価してきたのではないか。われわれが利用するのは、暴走しても被害が小さい、目に見える技術に自制すべきではないか。しばらくの間、再生エネルギーを急ピッチで実用化すること、家電製品や電灯の省エネルギー化を進めることで、エネルギー問題には対処すべきではないだろうか。今年の夏も、皆で電力の節約に励むこと、蓄電池や自家発電装置の昨年からの装備率の向上などで、実は、乗り切れるのかもしれない。

もちろん、「原発事故は人災」という自覚は必要である。しかし、事故調査委員会の言う意味の人災ではない。大地震を引き起こす活断層が無数にあるような国土の上に建設したことが誤りではないか。大津波が押し寄せるような海岸に建設したことが「人災」なのではないか。事故が起きた後、パニック状態に陥ったのは当然で、事故の拡大が防げなかったことは人知を超えたことであって、決して事故調査委員会が言うような「人災」ではないように思う。

天変地異の多い国土で最適なエネルギーを利用するにはどうすれば良いか。つまり「人災」を回避する解答は、情報技術の側からははっきりと見えている。「需要に応じた効率的な発電を行う「デマンドレスポンス」である。情報技術とインターネットをベースにエネルギー生成と消費を最適化する仕組みだ。現在の発電能力でも効果的な運用によって、需要を十分に賄える仕組みが可能で、これが「スマートグリッド」の提示した解答である。「人災」の意味を取り違えないで、だれが混乱を大きくしたか、しなかったか、などの無駄な議論で時間を費やさず、再生エネルギーの開発と普及、スマートグリッドの構築を急ぐべきである。それが情報産業の果たすべき義務なのではないか。

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