HOME > U+(ユープラス) > 奇論・暴論 > 第280回 ルールによって形も中身も変わる

U+(ユープラス)

U+のTOPへ

寄論・暴論

コラムニストの一覧に戻る

第280回 ルールによって形も中身も変わる

2012/08/20

ロンドン五輪を見ていてがっかりもし、腹も立ったのが柔道競技だった。「柔道」ではなく、確かに「JUDO」に変質した。あれは日本で生まれ、発展した「柔道」とは本質的に違うものである。

一番、がっかりしたのは、「注意」やら、「指導」やらのペナルティで勝負が左右されるケースが圧倒的に多いことだ。実力差のある1回戦や2回戦ではさすがに「IPPON」できれいに勝負が決まっていたが、実力の拮抗する準決勝、決勝では、相手の攻勢や返し技を恐れて攻撃に積極性を失い、腰を引いて技を出さないまま「指導」のペナルティをとられる。そのペナルティの差で勝負が決まるという試合のなんと多かったことか。

柔道の魅力は切れ味の鋭い足技や腰技によって相手を投げ飛ばす瞬間の技の見事さである。さらに気分を壊すのは、テレビの中継で解説する元メダリストの柔道家が、「常に攻勢をかけて相手が指導を受けるように持ち込む」という趣旨の戦い方を推奨しているように聞こえることだ。

確かに日本の柔道界の関係者にとっては、どんな形であれ勝ち残ってメダルを取ってくれないことには、柔道への補助金の多寡にも響くのだろう。しかし、日本の柔道ファンの多くは相手の指導の数が増えて優勢勝ちになることを望んでいないのではないか。返し技を恐れることなく攻め込んで、それで一瞬の隙をつかれてきれいに投げ飛ばされて一本をとられて負ける方がよっぽど気持ち良いと思うのは筆者だけの少数意見だろうか。もちろん、攻め込んで「一本勝ち」するのが最良だが、次善は「指導勝ち」ではなく、「一本負け」、その次が「指導勝ち」、最悪は「指導負け」である。

どうして柔道がこんな風に歪んでしまったのか、と考えてみると、柔道が勝負を争うグローバルな競技となって、体重別の「階級制」やら、勝負のめどとなる項目を増やして「注意」や「指導」でも「勝ち」は同じ、というようなルールを作っていったからだ。柔道が持っていた本来の魅力や精神がグローバルなルール一つで致命的な打撃を受け、姿を変えてしまう。

日本経済にも似たところがある。日本的な企業経営の在り方が、グローバルな価値観の重視や株主利益優先などのルールの変更によって、歪められ、そして、破壊されてきたのではないか。ルールの変更は「現状に対応する」とか、「国際的な要求に合わせる」などのその時点、その場での最適な方向を選択するが、長期的な視野で眺めると、そのルール変更によって破壊される文化や価値観への打撃を考慮すると最適なものではない。「今」という時間の流れの中の「部分最適」は、長期的視点に立つ「全体最適」にはならない。「柔道」「JUDO」への堕落を見ると、日本経済が破壊された過程が二重写しに見えてくる。

オリンピックで勝つ「JUDO」ではなく、グローバルなルールにとらわれない本来の「柔道」を、再び日本の柔道界は目指すべきではないか。日本経済も「日本経営の本質」をもう一度確認して、世界の金融が一体化しつつあるがゆえに一国の金融危機が世界の破滅に向かう、歪んだ「グローバル経済」と一線を画し、新しい経済体系を模索すべきではないだろうか。

上記のコラム購読のご希望の方は、右記の登録ボタンよりお申込みください。

登録はこちらから