HOME > U+(ユープラス) > 奇論・暴論 > 第281回 沖縄についてのまさかの誤解
2012/09/03
最近、中国に工場進出し、長い間事業を展開している日本人の経営者の方と相次いで話す機会があった。筆者は「美ら島(ちゅらしま)沖縄大使」を仲井眞沖縄県知事から拝命しているので、その名刺を先方に差し上げた。すると、中国在住経験の長いその経営者の皆さんは、異口同音に、「そうですか。沖縄ですか。もっとも、あそこは、昔は琉球と言って中国の領土だったのですがね」と、こちらがひっくり返るような言葉を返してきた。
先日、日本在住20年という中国人のコンピューター技術者の方と会食した際にも、彼は「琉球は、昔は中国の領土だったのですがね」と言った。
どうやら中国では「琉球は古くは中国の領土だった」と誤って伝えられているらしい。確かめるチャンスがないのだが、小学校の教科書にも「琉球省」と中国の一部として扱われている、と聞いたことがある。冗談だと思っていたが、もしかすると、本当かも知れない、と疑り始めている。
日本では占領政策の一環だったのか、戦争後、長い間、日本の教育の中で「沖縄」は軽視されてきた。日本地理では、南は与論島で終わった。世界地理では、沖縄は対象外だった。日本史では、明治維新は詳細に教えられるが、琉球王国の存在や日本帰属問題は触れられなかった。世界史でも、琉球は出て来ない。それで今日、沖縄については米軍基地問題の話題や魅力的な観光地としての関心はあるが、かつて琉球が独立王国だったことは、余り意識されていない。
最近になって、琉球王朝の最後の時代に材をとった「テンペスト」がヒットして、琉球王朝についてやや理解が深まったようだが、筆者には十分とは思えない。琉球王朝は15世紀から19世紀までの460年間続いた。その間、「琉球国」と名乗る、独立王国として特に東アジアの海上交易によって栄えた。明、清には朝貢し、「琉球王」として承認されてきたが、これは領土だったのとは違う。別の国であるから、朝貢関係が生じたのであって、領土として支配されたのではない。室町将軍の足利義満も「日本国王」の称号を受けたが、日本が中国の領土だったわけではない。別の国だから朝貢関係が成り立った。琉球も同じだ。17世紀初頭から薩摩・島津の侵攻を受け、以後、実質的に徴税された。ただ、薩摩の領土ではない。強い支配を受けたものの、独立王国の立場は捨てなかった。日本に帰属することになったのは、明治初年代で、この時、初めて独立を失った。
この歴史のどこを突いても「中国の領土だった」事実はない。にもかかわらず、中国に進出した日本人経営者や日本に在住して長い中国人技術者の皆さんが当然のように「琉球は昔、中国の領土だった」と誤解しているのだから困ったものである。明治初年代、長い交渉の末に琉球は日本に併合された。
現在、沖縄県はアジアの情報産業の集積を目指して施策をさまざま打ち出している。国内から多くの情報技術の関係者、さらに多くのアジアのIT産業関係者が沖縄に来て、琉球の歴史、今日の沖縄、明日の沖縄について理解を深めてもらえば、無用な誤解は氷解すると思う。情報産業の進展がカギを握っているように思う。