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第312回 「盗聴」と「機密」

2013/11/11

ドイツのメルケル首相の携帯電話の会話を米国の情報機関が盗聴していたことが発覚し、国際問題に発展している。しかし、「両国が互いに盗聴などで相手国の情報を不当に盗むことをしない」というような内容の協定を結ぶことで、一応の決着を見るようだ。歯切れが悪い決着だ。いろいろ、考えさせる要素が含まれている。

まず、友好国である政治家の電話を盗聴することがどういう問題になるのか。問題になれば、公式には、盗聴は許されない、と答えるのが当然である。あくまでも「公式」にはという修飾語が不可欠だ。本音をいえば、友好国だからと言って、その「友好」は永遠に変わらないわけではない。政権が交代して、いつ、非友好国にならないとも限らないし、政権が変わらなくても、友好関係にひびが入らないとも限らない。国家の安全対策上は、あらゆる手段を使って、友好国、非友好国であれ、その国の本音を知っておくのは、為政者、あるいは為政者に代わって治安を担う機関の責務である。局面が変われば、それを怠ることが、国家の安全を確保しない怠慢の限りと非難されないとも限らない。

世界は決して、善意で公正な人間だけの集まりではない。自分たちだけが公正な行為に終始しても、違った価値観をもった集団が襲い掛かってくると、無防備で公正なグループはあっさりと大打撃を被らされる。きれいごとではなく、安全を確保するための周到な配慮が常に必要なのである。しかし、条件がある。「公正」の建前をとる表社会では、盗聴などの手段で情報を収集することを禁ずる、というような正論を主張し続けていなければならない。つまり、その情報収集については、秘密裏に行い、外部に知られてはならないのである。

これが国際政治の現実で、歴史を少しかじれば、そういうことは直ぐに理解できる。目前の事象では、「ネット社会」がその例である。「人間同士の善意の絆を作り上げる」と、インターネットが誕生したころには、希望をもって迎えられた。その理想は、ウイルスやサイバー攻撃の前で危うく崩れかかっている。相互の「信頼」を前提に無防備で広がったネットワークはすぐに攻撃にさらされるようになった。いまや、がっちりとセキュリティでガードし、友人からのメールですら、それがウイルスに侵されていないかどうか、用心深く対応することを余儀なくされている。攻撃され、混乱させられ、情報が盗まれる危険が蔓延する世界になっている。インターネットは善意の人だけで構成されている、などと信じる人はいないはずだ。

情報ネットワークが発達した世界は、極論すれば、流血のない「戦場」である。重要な情報が外部に漏れないようにあの手この手で防御措置を講じるのは、情報流通させる側の当然の義務である。メルケル首相の携帯電話が盗聴されていたとすれば、ドイツ政府の防御側に問題があったと反省すべきことかもしれない。秘密裏に情報をめぐる攻防が繰り広がれているのは当然で、米国の失敗は、それが露見した、という一点に尽きる。ただ、その盗聴した話の中身は重要なことはなかったそうである。つまり、重要な情報交換については、携帯電話などを使わずに、もっと厳格な管理がされていた、ということだろう。

メルケル首相は現在、「超」のつく「公人」である。その立場の人間はいろいろな意味で狙われている。「超公人」の携帯電話が盗聴されたのは「プライバシー問題」ではない。政治上の機密の防衛の問題である。国家の安全保障の基礎にある問題である。これからも、守る側は防御の技術を磨き、盗聴を試みる側も防御を突破する技術を磨く。両国の「協定」に歯切れの悪さを感じるのは、結局、そういう現状をやむを得ない、と肯定しただけの、空疎な中身に思えるからなのかもしれない。

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