HOME > U+(ユープラス) > 奇論・暴論 > 第332回 「人不足」は経済正常化のチャンスではないか
2014/08/18
「人材不足」と言ったのはつい最近までである。今は「人不足」の段階に来たそうである。
テレビや新聞報道によると、福島の東京電力福島原発の汚染水対策工事や収束作業、ひいては廃炉作業に至るまで、作業員が不足して、実効的なスケジュールは立てられない状況だそうだ。作業員不足の原因の1つが2020年の東京五輪に伴う土木、建設工事の大きな需要の発生である。作業員が労働条件の有利な五輪関連工事に吸収されてきた。
技術をもった「人材」が求められないのはもちろん、多少技術力が弱い「人」ももはや払底しているようだ。
東京五輪だけでなく、日本全体に土木・建設関連の需要が大きくなっている。1960年から70年代の高度成長期に建設して来た土木・建築物などのインフラがあちこちで老朽化し、改修または再構築の必要が出ている案件が増大している。道路、橋、公共施設、下水道や水道も痛んでいるところが指摘されている。問題は、こうした老朽化したインフラの工事ができなくなってきたことだ。
地方自治体は、乏しい財政の中からこうした工事を入札にかけるが、応札して来る事業者が目に見えて少なくなってきたそうだ。事業者はこうしたインフラの工事に応募できない、という。自治体が準備する予算の範囲では、採算が取れなくなったからだ。建設機械が不足している。資材費は高騰し始めた。作業員が確保できない。
筆者が代表を務めているソフトウェア組織でも、「仕事はあるのに人がいないのでチャンスを逃している」と嘆く声が聞こえる。
どこに行っても、人不足が経済成長のネックだと声を合わせているようだ。
しかし、不思議な話だ。これまで日本経済の停滞の原因として「人余り」を挙げていたのだから、「人不足」は経済停滞からの脱出の時機がようやく到来した、ということではないか。
「就職氷河時代」で、優秀な若者でも職に就けない時期があった。こういう若者が、条件の悪い非正規従業員として吸収されて、単純労働の中で職業的スキルを十分に身につけられない不幸があった。こうした若者たちに、新たな機会を設けて、日本の次代を支える原動力になってもらう時代が来た、ということではないか。
本来なら「人材」となるべき若者を「人」としてしか扱わなかったこれまでの非礼を詫びて、技術を研鑽し、「人材」として十分な報酬を得られる技量を身に着けてもらう施策を講ずるべきである。「少子高齢化」の問題を分析すると、若年層に適正な報酬を得られる就業機会を十分に提供できなかった社会構造にも1つの要因があった。「人不足」は。この異常な状況を正常に戻すチャンスではないか。こういう観点から、日本の設計図をもう一度見直す必要がある。