HOME > U+(ユープラス) > 奇論・暴論 > 第367回 日本は「デジタル資源」の大国になれるか
2015/12/21
すでに「オープンデータ」の考え方は定着しただろう。行政が蓄積してきた膨大なデータは、有効に活用することができれば大きな価値を生む可能性を秘めている。しかし、経済価値に敏感とは言えない行政が抱え込んでいたままでは有効に活用するのは難しい。ビジネス化のノウハウをもつ民間が利用しやすいようにデジタル化、再利用可能な形で公開し、経済価値を生む新しい資源に変えさせよう、というのが「オープンデータ」の運動である。
ただ、膨大なデータを「死蔵」しているのは行政だけではない。民間企業もまた、日々、膨大なデータをコンピューター処理し、元のデータや処理の結果を蓄積させている。目的を果たすとそれで終わり、というケースも多い。自分の業務、自分の会社ではこのデータを使いこなせず、価値に気がつかないわけだ。他の業務、他の会社、他業種の担当者が知れば、のどから手が出るほどに欲しい情報のはずだが、それぞれの会社が抱え込んだまま活用される機会が来ない、というのが現状である。
これを互いに開示し合って組み合わせれば、新しい社会価値・経済価値を生み出すはずである。デジタルデータは組み合わされ、加工されることによって社会価値・経済価値を生み出す。死蔵されてきた膨大なデータは加工処理の基となる「資源」である。これを加工して意味のある「情報」に変換すれば、経済価値のある「資産」になる。「デジタル資産」と呼べるだろう。デジタル資産を生み出す原料となるのは死蔵されてきた膨大なデータで、これは「デジタル資源」と呼ぶべきだろう。
デジタル資産を効率よく利用できるようにし、サイバー攻撃からも守る「デジタル・アセット・マネジメント(DAM)」などの仕組みも登場しているらしい。
さらに、デジタル資産はまだ、いろいろなものが蓄積されてゆく。アナログで保管されている絵画や美術品、書籍をデジタル化することによっても「資産」として形成されてゆく。歴史の長い日本には魅力ある独特の作品が大量にある。これをデジタル化する作業が続いていて、やがて膨大な「デジタル文化資産」を有することになる。「デジタル資産」の基になる資源という意味でこれらの芸術品は「デジタル資源」の一種である。
四季折々に興趣ある景観を生み出す自然も日本の観光資源だが、これもデジタル化して保存、発信すれば「デジタル資産」として新しい価値を生む。観点を変えれば、自然も日本の「デジタル資源」である。
高度な情報通信社会が訪れてみると、「資源がない国」と思っていた日本にも、膨大な資源が隠れていたことが分かってくる。「デジタル資源」は日本にあふれている。「デジタル資源大国」の日本をもう一度見直そうではないか。情報産業の出番である。