HOME > U+(ユープラス) > 奇論・暴論 > 第406回 常識の転換、「監視カメラ」から「防犯カメラ」へ

U+(ユープラス)

U+のTOPへ

寄論・暴論

コラムニストの一覧に戻る

第406回 常識の転換、「監視カメラ」から「防犯カメラ」へ

2017/07/03

21世紀に入ったばかりのことだが、新宿・歌舞伎町の商店街の要請で、街頭に「監視カメラ」が設置されることになって、「プライバシーを侵す危険な監視社会の到来」という強硬な反対運動が起こり、激しい議論になった。結局、地元商店街の要請が勝ってカメラを設置したが、それでも反対論者はカメラ設置後も歌舞伎町の犯罪は減っていない、効果がない、とデータを挙げて執拗に反対した。しかし、最近は、犯罪防止に効果あるなしの議論は影をひそめた。この論争は決着したようだ。

実際、歌舞伎町以外にも、急速に各地で街頭の監視カメラの設置が増加した。

警察や町内会が住民の安全のために街頭に設置するだけでなく、個人の設置も目立ってきている。自宅の門の前に近づくと灯りがついて監視カメラが作動する、という仕組みで、公道の通行人を撮影しているはずだが、これに対する強い反対論は聞こえてこない。

最近では、「防犯カメラ」という表現が多くなってきた。ある特定の人物を監視するのが目的ではなく、「犯罪が起きないように監視する」「犯罪が起きた時も速やかに解決するために利用して再犯を防ぐ」という「防犯目的」を前面に押し出している。実際、犯罪の早期解決に至った事例は枚挙にいとまがないほどだ。

街頭だけではなく、以前から、オフィスや高層住宅のエレベーターで「利用者の安全のため」、コンビニや大型商業施設の売り場などでは「万引き予防」に「監視カメラ」を設置している例は多かった。街頭カメラが市民に受け入れられるようになってきたのに伴い、住民や顧客の反対もなく、さらにいろいろな場所でのカメラの設置は加速している。呼び方も「防犯カメラ」が当たり前になっている。「監視社会」ではなく「安全社会」が目的である。

最近のニュースでは、地下鉄や列車の車内にカメラを設置する動きが広がってきた。スリなどの犯罪防止もさることながら、車内の痴漢トラブルへの対応に最も効果があるはずだ。現在は痴漢にあってもひたすら黙っている被害者もいれば、被害を受けたと騒ぎ立てられて無実の乗客が冤罪をこうむることも起きている。双方に防犯カメラは安心を提供する新しい道具になると期待される。

スポーツでも微妙な判定について「チャレンジ」を申し出てビデオで決着する例が定着してきている。社会生活でもトラブルを公平に処理する手段があるべきだろう。

平和な社会生活の維持のための道具として、ICTは有力である。少ない警備員で多数のポイントを監視する。それが防犯に効果があるのが実証されている。もちろん、行き過ぎた「監視」には歯止めが必要だが、「防犯」に有効であることとのバランスである。2020年に向けて、テロなどの脅威も現実になってくる。過剰な監視に広がることなく、かつ危険な要因は効果的に取り除く、そのノウハウを蓄積する時期に来ている。

まだ、製品発表などでは「監視カメラ」の表記が見られるが、これは卒業して、「監視カメラ」から「防犯カメラ」への常識の転換を速やかに進めるべきだろう。

上記のコラム購読のご希望の方は、右記の登録ボタンよりお申込みください。

登録はこちらから