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第89回 新年のあいさつに代えて〜介護事業の異常さとは何か〜

2019/01/15

読者の皆様、明けましておめでとうございます。今年の干支は猪で、「猪突猛進」がイメージされ、それをモットーより積極的に前に進もうと意気込んでいる人も多いと思いますが、実は今年の亥年とは、「己亥年」です。干支は十二支ですが、それは甲乙丙など10で構成されており、「己亥年」の意味は、前の年が文化繁栄を表すことから、その繁栄を維持するために守りに徹する年とされています。「猪突猛進」の年ではないのですね。

しかし我が国の2019年は、激動の匂いがします。天皇陛下の退位と、新天皇の即位という大きな出来事が控え、それに伴い元号も変わります。政治と経済の状況を見ると、消費税の10%への引き上げと、それに伴う介護報酬と診療報酬の改定、新処遇改善加算の導入なども予定されています。そうした激動の要素を見越して、それに合わせた変化に知恵を絞っている方も多いのでしょうが、人の暮らしに関わる仕事に就いている人は、今一度己の足元を見つめて、自分が立つべき基盤が揺らいでいないのかを確かめてから、確実な一歩を歩んでほしいと思います。

忙しい業務の中で、顧客から声をかけられたときにすぐ対応ができず、待たせなければならないときに、「少々お待ちください」といえることができる職員の姿は、理想ではなく当たり前なのです。やむを得ない事情でお客様を待たせたときに、ごく自然に「お待たせいたしました」と声をかけることができることも、職業人であればごく当たり前としか言えないのです。そんな対応が「素晴らしい」と称賛される職業があるとすれば、その職業に携わっている人たちの常識がどうかしているのです。

しかし、介護サービスの場では、ナースコールを押した利用者への対応に即応できずに待たせてしまうときに、「ちょっと待ってね」・「何度もコール押さないでよ、わかっているから」と言って、待たせた利用者に対応する際に、「こっちも忙しいのだからしょうがないでしょ」なんて言う日常対応がされている場合が多いです。その姿を自分の家族に見せて自慢できるというのでしょうか。

利用者から何かを要求されたとき、ごく自然にすべての職員が「かしこまりました」といえる職場が特段優れているわけではなく、サービス業であるなら当たり前のことです。利用者に対して適切性に欠ける対応があった時、「申し訳ございません」という言葉が自然に発することができることが当然の対応であって、それができなければ非常識を疑われるのがサービス業なのです。

これらの言葉は、「8大接客用語」と呼ばれ、一般的なサービス業においてはごく自然に従業員が使いこなしている言葉です。コンビニエンスストアやファーストフード店ではアルバイトの学生が使いこなしている言葉なのです。日本語を覚えたての外国人だって、使いこなせる言葉でもあります。それと同じ言葉遣いを、対人援助の場で顧客である利用者に接する際に使いこなせないことの恥ずかしさを知るべきです。そういう言葉で接するように指導するリーダーに対し、「理想と現実は違う」などとうそぶいて聞く耳を持とうとしない職員は、自らの現実レベルが低すぎるだけなのです。それはコミュニケーション能力に著しく欠けているという意味で、一般的にはそのような能力の持ち主のことを「スキルがない」と判断できます。

そういう意味では、対人援助の場で言葉使いにも気を使ってサービスマナーを守るということは、他のサービス業で学生アルバイトができている程度のことはしましょうというレベルにしか過ぎないとも言えるのです。今更その徹底を図らねばならないことが課題とされる業界の民度はあまりに低すぎるといえ、保健・医療・介護・福祉業界関係者はその異常さに気が付くべきです。

介護事業者に勤め、介護事業に携わることで生活の糧を得ている人は、介護のプロといえるのだから、学生がアルバイト先で使いこなしている言葉を使えないというのでは、あまりに寂しすぎます。介護とはコミュニケーションが不可欠な職業であり、コミュニケーション技術もプロとしての資質であるにもかかわらず、その部分で学生以下の資質しかないような人は、別な職業を探したほうが良いのです。そうしないとその汚らしい言葉に傷つき、不幸になってしまう人が生まれ、それは取り返しのつかない心の傷につながりかねないのです。人を不幸にして、人の尊厳を徹底的に奪ってしまうのです。

認知症の人は特にその被害を受けやすいと言えるでしょう。認知症の人の言動にイラついて、強い言葉でなじったり、乱暴に接したりすると、それはなんの解決にもならないどころか、そうした言動は、認知症の人にとって脅威であり、混乱の元になって、行動・心理症状(BPSD)はかえって悪化するのです。それは認知症の人の心を完全に殺す行為であると同時に、そのような言動によって認知症の人をなじる人間の仕事が増えることにもつながり、さらにイラつくという悪循環に陥ってしまうことに気が付くべきなのです。

介護の場で繰り返し行われているスピーチロックも徹底的に戒められるべきです。それは認知症の人のストレスになるからです。「動かないでちょうだい」、「しちゃだめ」、「立たないで」、「ちょっと待って」という言葉の拘束によって、介護施設等で認知症の人は常に傷つけられて混乱しています。そんな状態は無くさねばなりません。しかしそれらのスピーチロックは、介護者の心の持ちようで簡単に変えられるのです。

「ちょっと待って」とか、「座っていて」と言い切るのではなく、「〜しているので、ちょっと待ってもらえますか?」とか、「〜すると危ないので、座っていていただけますか?」というふうに、理由を説明しながら丁寧な言葉に言い換えるだけで、それらの人々の心は安らかになり、行動も落ち着くことが多いのです。言い切りではなく、相手に尋ねるような形をとると「相手に選択権がある」話し方になるのです。それはマナーを意識した言い換えといえるでしょう。

サービスマナーを身に着けるということは、こうしたレベルの低い現実を直すということにほかならないのです。無礼で醜い対応を介護事業の場から無くしていくということに過ぎないのです。そもそも、おもてなしの心とは、相手を良いこころ持ちにさせる=幸せな気持ちにさせるという意味なのです。ぞんざいな言葉遣いや横柄な態度は、相手に不快感しか与えません。サービスマナーとは、最高のもてなしをする以前に、最低限、お客様に不快を与えないように対応を、一定のルールで標準担保しようという意味です。それができてこそ、ホスピタリティ精神が上乗せされる可能性が生まれるのです。マナーの上に「おもてなしの心」を積み上げてこそ、選ばれるサービスになるのです。

逆に言えば利用者=お客様に対するサービスマナー精神のないところで、真の思いやりの心は生まれません。高品質なサービスを実現させようとする動機付けも生まれないのです。そのような介護事業者は、今後顧客単価が抑えられる中で、参入事業者が増える介護サービス事業の中で、顧客に選ばれて生き残っていくことなど不可能になると言ってよいでしょう。

おもてなしの心とは、裏のない心であり、相手に対する真の思いやりという意味でもあるのです。それは一般的にはホスピタリティと呼ぶのです。人を幸福にしないサービス、おもてなしの精神のないサービスは対人援助とは言えないし、そんなものを社会福祉と呼ぶのは笑止千万といっても良いのではないでしょうか。そんなホスピタリティの精神活動を持つことのできる職場づくりのため、そうしたおもてなしの心を持つ職員を増やすために、「介護事業におけるサービスマナー研修」を今年度から始めるようになりました。その研修テーマによる講演依頼はじわりじわりと増えています。

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