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第2回 そして誰もいなくなった、では済まない

2011/09/20

下記の表は厚生労働省の「介護サービス施設・事業所調査」という資料の「介護職員の実数の推移」というグラフである。

介護職員数の推移グラフ

この表のサブタイトルは「介護保険制度の創設以後、介護職員数は大幅に増加しており、倍以上になっている」である。つまり介護保険制度を創りサービスを増やしたが、同時にサービスを提供するための人的資源も順調に増えているという成果を示す意味にとれる。それは実態として正しいのだろうか?そして将来的にも介護サービスの提供に必要な人的資源は十分確保できるのだろうか?

介護保険制度が始まった2000年(平成12年)の介護職員数は548,924人で、2004年(平成16年)にはその数が、1,000,144人と初めて100万人を超えた。そして直近データの2009年(平成21年)の数字は1,343,000人となっており、確実に介護職員の総数は増え続けているわけである。しかし同省の予測値でも、要支援者と要介護者の総数は、2010年の502万人から、ピークとなる2025年には720万人に増え、介護職員数は200万人必要としているところである。そして14年後までに新たに66万人の介護職員を増やさねばならないとしている。しかしこの数字は首をかしげざるを得ない?なぜならこの数字は引き算なしに足し算だけで考えている数字だからである。単純に14年後に必要な介護職員数と、現在の介護職員数の差は66万人であるが、14年後に介護職員として働く200万人を確保するために新たに介護職員として確保しなければならない数は、現在の介護職員総数からそれまでにリタイヤする職員を差し引いた数字を66万人に上乗せして考えねばならないため、その数は66万人よりずっと大きな数字になるはずである。つまり14年後までにリタイヤする介護職員の数をきちんと推計しておかないと、新たに必要となる介護職員の数は引き出せないという意味だ。

最初に紹介したグラフの「介護保険制度の創設以後、介護職員数は大幅に増加しており、倍以上になっている」というサブタイトルには実は恐ろしい事実が隠されている。それはわずか10年間という短い期間で80万人以上増えている介護職員は、若者だけでその数を確保しているわけではなく、その時点でかなり年齢層の高い人が転職して介護職員になっているという事実である。2000年に40歳で異業種から介護職員に転身した人は、2025年には65歳に達する。そして現在51歳以上の介護職員は、14年後の2025年にはリタイヤしている可能性が高く、しかもこの年齢層が現時点でかなりの数として介護サービスを支えているという現状があり、リタイヤした人の数を補って、なおかつ今より66万人多い数の介護職員を確保できるのかといえば、「不可能である」という結論しか導き出せない。(勿論65歳でリタイヤしない人がいるという現状を考えても、その数に大きな期待を寄せる状況にないという意味を含んでいる。)

介護職員数の推移を見ても、2000年から2005年までは毎年10万人以上のペースで数が増えているのに、それ以降は4万人から6万人の中で増加の幅が推移している。少子化の影響が今後ますます大きくなることが予測される現状では、この増加数の推移が急激に改善することはなく、むしろ増加数はもっと少なくなると考えるべきで、14年後に50万人の介護職員の増加さえ難しい状況であると推測できる。よって現状のままで介護労働者の確保は不可能であるという結論は動かしようがないだろう。現に介護労働安定センターが毎年実施している「介護労働実態調査」の最新版(2010年度調査8/23公表)によると、事業所の人手不足感は前年度を3.5ポイント上回り50.3%と半数を超えている。事実として介護サービスの現場は現時点においてさえ人手不足であり、その実態は「人材確保」ができないというより、「人員確保」さえできないといえる状況である。

そう考えると必然的に外国人労働者の雇用は現行の政策のままでよいはずがないということになる。そもそも何億もの国費をかけて、介護職員として雇用できる数が、毎年数人レベルというのは国費の垂れ流しである。この政策を続けている国会議員や役人は万死に値する。外国人介護労働者の受け入れは、今のように経済協力協定(EPA)の中で、厳しい規制条件をつけて考えるべき問題ではなく、この国の介護労働者の確保という「本筋」から見直しを図るべきだ。

さらに変えなければならない問題として、現行の介護サービス施策が挙げられる。現在のように介護サービスの品質をユニットケアという小規模対応型サービスだけで担保しようとする施策も一大転換を図らねばならない。少子化で人がいない国の、その時代に必要とされる介護戦略は、必要最低限のサービス量は守るということをまず考えねばならず、大規模施設や大規模事業を批判するばかりではなく、スケールメリットを利用した介護サービスの量の確保と、その中での一定水準のサービスの品質の担保の方策を示すことである。なにより求められるものは、サービスの最低必要量を念頭に置くことで、それがない事で暮らしが守られないということを防がねばならない。一人の要介護者に手をかける人員を増やさざるを得ない小規模対応型サービスだけではこの国の介護の総量は足りなくなる。

今必要とされる制度設計は、最低基準をきちんと守ることができるサービスの質の確保であり、ケアの提供方法にもスケールメリットの思想を取り入れ、ケア単位の小規模化だけを唯一のケア品質という考え方を転換して、人手をさほどかけなくてもサービスの質が一定程度に保障できる方法論を構築、導入する視点を持ったシステム作りである。もちろん現場の職員には倫理観も含めたサービスの質向上の取り組みを担う役割を負わせる必要があり、そのための人材育成のシステムを同時に推進する必要はあるものの、国の施策が実情を無視して理想に走り過ぎては、ひずみは拡大する一方である。情報化社会であることは、国民の選択性の保障ということについては比較的容易にそれを担保できるという意味でもあるのだから、国がすべきことと、現場に担わせるべき責任をもっと区分して、新しいシステム作りを目指さねば、この国の介護サービスは持たない。

こうした状況下で介護職員処遇改善交付金をどうするのか、という議論は誠に滑稽である。きちんと生活が成り立つ収入を得られる職業として介護サービスを位置づけない限り、介護職員を確保できないことで制度あってサービスなしという状況が生まれ、この国の暮らしのセーフティネットはズタズタになる。当然介護職員の給与改善策は交付金の形であっても、給付費に包括する形であっても、継続されねばならない。むしろいつまでもその金額が、平成19年との比較で15.000円しかアップしないということの方が問題視されるべきである。

これは14年後の国民の生活保障の問題で、震災復興と比較して削ることができる財源ではないはずである。

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