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第5回 いのち

2011/12/26

2011年は日本人が忘れることのできない年になった。3月11日の震災で3万人近い人々の命が一瞬にして失われた。明日という時間を突然奪われた人々がいるという事実に直面して、残された我々は何をすべきなのか。それは命の尊さをもう一度問い直し、あのとき失われた多くの人々が、生まれ変わった時に、また生まれたいと思える国を作ることではないだろうか。

しかし年の瀬が迫る巷では、相変わらず人々の命が簡単に奪われるような悲惨な事件が起きている。我々はどこで何を見失しない、何を間違ってしまったのだろうか?

そこでは、たくさんの小さな命も理不尽な理由で奪われてゆく。命とは、はかないから尊いのだ。その尊さを大切に思わない社会に未来はあるのか。奪われる命、小さな命を傷つける事件は過去の歴史でもたくさんあったというが、それにしても今ほど命が粗末に、理不尽に扱われている時代があったのだろうか。そして過去の事件や事故から我々は何を学んできたのか。何も学んでいないのが本当のところだ。事件を引き起こす犯人の動機や心理を探って、それがあらたな事件を防ぐ手立てになったことがあるのか?

新聞やテレビは、それらの事件を報道する意味について、あたかもそれが犯行動機を見つけ出すことに繋がり、そのことによって犯罪を防ぐ社会を作ることができるかのように報道している。しかしそれが幻想でしかないことは歴史が証明している。犯罪を興味本位で報道することで模倣犯罪が増えるだけではないのか。少なくともこの国のマスメディアは、この国の知性を代表せず、流行の代弁者にしか過ぎない。だからその報道で何かが良くなるという期待は空しい。

いつから私たちの社会はこんな殺伐とした社会になったのか。人を尊ぶ社会、人を愛する社会、そのために行う教育。大人の行動。そこをもう一度問い直す必要がある。

小学生が株取引で儲ける社会は正常な社会ではない。経済活動に長けるための知識より、大切な心を育てるべきだ。テレビゲームではバーチャルリアリティによって、現実と仮想世界の区別がつきにくくなっている。そこでは簡単に人を殺す行為が繰り広げられている。自由社会とはそうしたものをすべて許容する社会なのか。そんな自由から生み出される未来は貧しいものだろう。命のはかなさと尊さは大人たちが子供たちに伝えて始めて理解されるのだ。伝えられない大人が多すぎないか。

もう遅いのかもしれないが、ダサいと言われてもいいから、人を愛すること、命を尊ぶこと、はかないものを守り育てることを伝える義務と責任が我々にはある。

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