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第11回 カイゴのイノチ

2012/06/18

我々の職業は、誰かに施す(あわれみの気持ちで、人が困っている状態を助けるような行為をする。)職業ではない。我々の仕事は単に行為を手助けする職業ではない。

介護とは、人が人として生きる為に、人として当たり前にみんなで助け合うことだ。この世に生を受けたすべての人間が幸福に暮らすことが出来る社会を目指して、ごく普通に助け合うという行為に、適切な援助知識と援助技術を加味して専門性をもって支援する職業だ。当然そこで生活の糧を得ている限り、その専門性と科学を持たねばならないが、しかし厄介なことに対人援助とは人の感情にアプローチすることが必然となる。科学はここに届くのか?

造られた援助知識と技術に基づく専門性に、この感情にアプローチする方法論を加味することは非常に困難を伴う。ソーシャルケースワークの原理原則の中に、「意図的な感情表出の原則」や「統制された情緒関与の原則」があるという意味は、この感情に適切にアプローチしようという方法論であるが、この原則さえ守っておれば、信頼を得て支援行為がスムースになるということではない。

人は人を信頼して頼るときに、自分の感情がいかに相手に受け入れられ、いかに相手がそれに真摯に反応してくれるかということを自然と感じととって生きている。波長が合う合わないということは、この感情に合う合わないということと密接に関連している。だから福祉や介護サービスを職業とする人が、単に職業的に、専門職としての立ち位置だけで利用者にかかわるとしたら、大きな失敗を犯すであろう。

人として、人を愛し、人を幸せにしたいという豊かな感情を持ち、人々の喜怒哀楽に敏感であり、人々の穏やかな微笑みを自らの幸福と感じる延長線上に、本当の意味での信頼を持たれる可能性があるのだろう。

人として、人の幸せを願い、共に歩むということが、動作を援助するだけではない、「行為援助」につながっていくのだろう。

援助者である前に、人として何が大切かを見つめることを忘れないでほしい。その上に、自分以外の他者の生活に介入するための専門知識と技術があるということを忘れないでほしい。人としての豊かな感情がベースにない限り、対人援助は成立しないということを忘れないでほしい。

大切な根っこを間違えないでほしい。そのことを見つめ続ける先に、我々は利用者の「傍らに寄り添うことが出来る者」となる可能性を持つことが初めてできるのである。そして介護とは、決して施しの動作援助ではないことに気付くことが出来るであろう。

介護の「介」とは、心にかける、気にかける、仲立ちをする、等の意味がある。
そして「護」は、まもる、かばう、ふせぐ、たすける、という意味である。
我々は利用者に対して、心をかけて護る人になる必要があり、それは利用者の尊厳やプライバシーを守るケアパートナーとして存在するという意味である。

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