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第27回 看取り介護のキーワードはつながっている

2013/10/28

看取り介護を考えて、その具体的な方法論を作り出そうとするとき、我々は3つの「つながり」を大切にしなければならないと思う。

・ケアはつながっている。
・関係はつながっている。
・命はつながっている。

当施設オリジナルの看取り介護指針を作り、看取り介護に取り組み始めた頃、職員全員が「誰かの人生の最期の瞬間に寄り添う」とはどう言う意味があるのかということを考えてもらえるように、施設管理者である僕から様々な投げかけを行ってきた。

看取り介護終了後カンファレンスの実施も、その一つの取り組みであり、職員自身が遺族の評価に触れながら、自分たちの取り組みを評価するということで、常に質の高い介護を目指すことができるような意識作りに取り組んできた。当初、何を評価せねば良いか疑問を抱き、自分たちのケアを信用しないのかという不満を持って、デスカンファレンスなど必要ないと反発する職員も多かったし、デスカンファレンスの中で、下手なことを言って怒られては損だという考えから、なかなか発言ができない職員も多かった。しかしカンファレンスを続け、そこでの気づきをケアにつなげていくという取り組みを続ける中で、職員は対象者が亡くなるまで教えてくれていたと感じていた事が、カンファレンスを通して、亡くなったあとでも教えてくれる事がたくさんあることに気づき、その大切さを改めて痛感していった。

そして職員は、対象者が亡くなった後のカンファレンスは、反省・後悔するためだけのものではなく、緑風園で生活している方たちに、これから活かす・繋げるためのものであると思うようになった。職員は、カンファレンスの中で打ち出された課題を一つ一つ改善していくためには、どんな事をしたらよいかと具体的に考えるようになり、その過程で、看取り介護になってからの援助よりも、日頃の援助こそが大切であるということを確信するようになっていった。

まさにケアはつながっているのである。

看取り介護という時期になって、慌てて環境を整えたり、利用者の好みの状態に部屋を飾ることのおかしさに気づくようになり、看取り介護の時期に求められていることなら、日常の場面からその望まれる状態に環境等を整えるのが当然であると考えるようになった。そもそも日常のケアのレベル以上に、看取り介護の時期だけ良い介護ができるわけはないのである。人生の最後の瞬間に寄り添う人になるためには、傍らに寄り添うことが許されるような信頼関係を、日常から得られるような関わりが必要であるという、当たり前のことを知ることになった。そして「看取り介護の対象となる利用者が、最期の瞬間までその方らしく生きるために何ができるか」という答えは、その人の過去の日常をよく知る家族と共に考えるほうが、より良い答えにたどり着くと気づき、家族と共にという意識が強まり、面会に来る家族にただ挨拶を交わして終わりではなく、もっと積極的に家族との普段からの関わりを大切にするようになっていった。

今ここに存在する利用者の皆さんは、たったひとりの大切な個人ではあるが、それはたったひとりで存在しているものではなく、様々な関係性の中で存在している。それは周囲の人々とつながっているという存在であることに気がつき、そのつながりを大切にすることがケアサービスに求められていることだということを深く考えるようになった。様々な人々とつながっている関係性に思いを寄せることが重要なのである。場合によっては、そのつながりの糸が切れていたり、複雑にからみあっていることもあり、その時には施設の中の専門家が、その糸を紡いだり、ほどいたりする役割が必要であることも知った。

今、我々が施設の中で看取る方の多くは、80代、90代の方である。その方々の近くで遊ぶ小さな子供たちとは、お孫さんではなく、ひ孫、玄孫さんである。それらの子供たちは、看取り介護の時期に初めて施設に面会に訪れ、死期が近づき表情が変わった、ひいおばあちゃんの顔を見ても、自分の肉親だとは思えず、近くに寄れない子供も多い。この時に、施設の介護職員が優しく声をかけ、手を握ってあげると喜ぶよと教えてあげて、恐る恐るベッドに近づいて、ひいおばあちゃんの手を少しだけ握って、慌てて手を引っ込めたりする。しかしそうしたひ孫が、数日もすれば介護職員に教えられながら、ベッドサイドで、ひいおばあちゃんの顔を拭いたり、髪をなでつけたりする。その姿を見て、「ばあちゃんよかったね」と、子や孫が喜んでいる。やがてその人が旅立ったあとでも、そのことは周囲の人々の記憶にしっかり残って行くだろう。

それが命のリレーであり、まさに人の命もつながっているということなのである。

看取り介護という時期に、そこで安心・安楽の暮らしを提供でき、安らかな最期の瞬間を、家族と職員が協力して看取ることが出来た時、その死の瞬間には、愛する人を失った家族の悲しみがあったとしても、安らかな死を傍らで看取った家族には、旅立たれていった人の命のぬくもりが確かに感じられ、その命を、その魂を引き継ぐ何かが感じられたことだろう。そうして命はリレーされていく。そして安らかに看取ることができた結果を残された人々の満足感や、喜びに結びつけて考えることにつながっていく。良かったねという思いは、みんな幸せだねという思いとイコールになる。

だから看取り介護を通じて命のリレーが実感できることとは、無限に広がる幸せ樹形図を描く結果となる。

介護とは、その樹形図を作ることができる誇り高き仕事である。その誇りを守ることができる結果を出すことを我々は求められている。誰かの心に咲く赤い花のような存在になることができたとき、我々は、だれか最期の瞬間に寄り添うことが許される存在になるであろう。

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