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第30回 最期の時を過ごす場所としての使命

2014/01/20

年の瀬が近づくある冬の朝、当施設で80歳代の男性利用者が静かに息を引き取られた。

その方が緑風園で過ごした期間は、わずか1年余である。市内の医療機関入院を経て当施設に入所され、当初はお元気であった。

病状が悪化し、回復不能の状態と診断され、医師より家族に説明を行った際に、本人の意思確認はできない状態であったが、奥様をはじめとしたご家族の方が、「住み慣れた緑風園で最後まで過ごさせてあげたい。できるだけ苦しい思いをしないようにして欲しい。」という希望により看取り介護を実施することになった。約20日間に及んだ看取り介護期間中、奥様は高齢であるにもかかわらず、毎日面会にこられて、旦那様の傍らで様子を見られ、最期の日に向けた覚悟の気持ちを固めていたように見て取れた。旦那様も、最後まで呼びかけに反応するなど、奥様や子供さん、お孫さんが傍らにいることをわかっていたように思う。

自宅に替わって最期の瞬間まで過ごす場所として、満足いただけたであろうか。安心・安楽のケアは提供できただろうか。そのことは今後の看取り介護終了後カンファレンスにおいて真剣に検討されなければならない。

その方の葬儀では、奥様が思いの他、お元気な姿で喪主をつとめられているのを見て安心するとともに、それは当施設で看取ったことに後悔がないようなお姿に見え、少しだけほっとした。

最後の葬儀委員長挨拶では、緑風園でのわずか1年余りの暮らしの様子も紹介され、「○○さんは、子供の頃、歌手を目指されていたほど歌の好きな方で、演歌を愛し、お箱は北島三郎、千昌夫、大川栄作でした。緑風園でのカラオケ大会を楽しみにされ、先日も、さざんかの宿を熱唱される姿が見られました。」と楽しく過ごされている様子が列席された皆さんに紹介された。

考えてみると僕らが学生時代、特養に実習に行った際に指導者から、「亡くなられた利用者のお葬式に花輪などを送ることは、事前に希望を確認しないと、施設名を出すことを嫌がる遺族もいるから気をつけて」と言われた記憶がある。当時は、特養などの老人ホームに身内を入所させることは、親を見捨てることのような偏見が存在していた。病院で亡くなるのは良いけれど、老人ホームで亡くなることは、世間体が悪いと考える人も多かったように思う。だから施設で亡くなったことを隠す遺族もいたようである。葬儀委員長の挨拶で、特養での暮らしの様子が語られることはほとんどなかったようにも記憶している。

そのことを考えると、特養に向けられる世間の意識はかなり変わってきているとは思う。同時に偏見視しなくて良いだけの暮らしの場となっているのかということを、僕たちは常に考えていかねばならないと思う。世間の非常識が、施設の常識であるということがあってはならないのである。本当に安心して暮らせる場所に向かって、本当に安心して最期の時間を過ごせる場所へ向かっての取り組みを続けなければならない。

息を引き取るその瞬間に、我々は、そこにいることが許される者となっていたのかを考え続けなければならない。

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