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第33回 早急なる認知症ドライバー対策を求めたい

2014/04/28

今年1月6日付で公表された警察庁交通局交通企画課資料、「平成25年中の交通事故死者数」によれば、平成25年中の交通事故死者数(24時間以内)は、4.373人(前年比−38人、−0.9%)で13年連続の減少であったことが示されている。しかし同時に、「交通事故死者数の対前年比減少率はわずかであり、高齢死者数の増加が顕著で、交通事故死者数に占める65歳以上の高齢者の割合が52パーセントを超えるなど、交通事故情勢は厳しい状況にあります。」という警察庁長官コメントが掲載されている。

65歳以上の高齢者が、交通死亡事故者数の過半数を占めるという数字は、高齢者が交通弱者であることを示しているものであろうが、同時にこの数字には、高齢者自らが運転して事故を引き起こして命を失ったという数字も含まれる。そして、その中には、認知症によって事故を引き起こしたという数字が含まれており、その数は年々増加していると予測されている。中には認知症の高齢者が交通死亡事故を起こし他人を死亡させたものの、本人にその記憶がなくなって罪が問えないというケースも出てきている。

昨年6月4日、東京都狛江市の市道で、35歳の主婦が乗る自転車に軽乗用車が追突、自転車を引きずったまま100メートル先の民家の塀に衝突した事故では、自転車の後部座席に乗っていた2歳の女の子が頭を強く打って死亡している。現行犯逮捕された72歳の自営業の男性は、自転車にぶつかる200メートル前にも塀などに2回衝突していた。容疑者の親族は「認知症を患っている」と話しているというが、本人にはその自覚がなく、逮捕後も事故の記憶を失っているという。

現在、運転免許の更新期間が満了する日における年齢が75歳以上の高齢者は、運転免許証の更新期間が満了する日前6月以内に、講習予備検査(認知機能検査)を受けることが義務付けられている。この検査は、時間の見当識、手がかり再生及び時計描画という3つの検査項目について実施され、検査結果を通じて高齢運転者に自己の記憶力・判断力の状況を自覚してもらった上で、検査の結果に応じた高齢者講習を実施している。この際に、運転の危険性を自覚して、免許更新をしないという選択をしたり、現在所持している免許の取り消し処分を申し出る人もいるが、認知症の度合いが進行しているほど、この自覚に欠けて、自分は正常に運転できているとしてなんの対策も取らない人も多い。

検査の結果、記憶力・判断力が低くなっていると認められ、かつ、運転免許証の更新期間満了日の1年前の日以後に信号無視等の記憶力・判断力が低下した場合に行われやすい特定の違反行為をしていた場合には、臨時適性検査として認知症の専門医の診断を受けなければならず、認知症と診断されると、運転免許の取消し又は停止処分がなされるが、そもそも強制力の伴う臨時適性検査を受ける状態にはない(例えば特定の違反行為をしていない場合など)人でも、認知症の症状がかなり強く出ている場合があり、この対策は「ゆるい」「ぬるい」と言わざるを得ない。

認知症取消し等処分件数は、平成21年が228件、22年が352件、23年が442件と、毎年100件程度増えているものの、65歳以上の高齢者で7人にひとりが認知症であるという国のデータから考えれば、この数字はまだ低すぎると言えなくもない。

認知症の人が運転できるということに疑問を持つ人がいるかもしれないが、運転動作というものは、「手続き記憶」であり、エピソード記憶や意味記憶を失っても、最後まで残る記憶であるために、家族の顔や名前がわからなくなったり、直前に何をしていたかがわからなくなった人でも、運転という行為だけはできてしまうことがあるのだ。

もう少し詳しく解説すると、記憶は3つの種類に分類することができる。

過去にあった出来事の記憶は「エピソード記憶」と言われる。自分がいつ結婚したとか、子供がいつ生まれたとか、楽しかったり、辛かったりする思い出などがエピソード記憶に含まれる。

言葉の意味の記憶は「意味記憶」と言われる。誰々さんはなんという名前だとか、りんごの色は赤という色だという記憶である。

技能や手続き、物事のノウハウの記憶は「手続き記憶」と呼ばれる。これは仕事の手順を覚えることなどが含まれる。

このうち、最初に失っていくのがエピソード記憶と意味記憶であり、手続き記憶は比較的晩期まで残ると言われている。その理由について、認知症の専門医等に尋ねると、「記憶の回路が違うので、差が生ずる。」と説明されることが多い。おそらくこれは脳の情報伝達と記憶の回路という意味だと理解している。

手続き記憶が最後まで残される記憶であるからこそ、ユニットケアにおける「生活支援型ケア」が有効になる。生活支援型ケアとは、過去の生活習慣を参考にしながら、残された能力をできるだけ生活の中で活用維持して、日常の暮らしを続けられるように援助するもので、例えば若い頃、農家であった人なら、田や畑で作物を育てることに関する残された記憶や身体能力を活用しながら、家庭菜園などで食物や花を育てることを続けたり、グループホームで日常の家事を行うことを支援したりするものだ。

特に女性の場合、一家の主婦として毎日の家事を行っていた人が多いので、この家事における「手続き記憶」が最後まで残されることを利用して生活支援を行うことになる。具体的には調理や配膳、掃除や洗濯といった、日常の家事の記憶が残されていることを利用して、できることをしてもらうというものだ。

これらはすべて「手続き記憶」が残されていることを利用したものである。

この手続き記憶には、「車の運転操作」も含まれる。つまりエピソード記憶や意味記憶に障害が出て、日常生活に支障が出るような状態になっても、「車を運転する」という行為はできてしまうことがあるのだ。しかし正常な認知能力で運転する人とは異なり、自分は正常に運転していると思い込んでいても、車庫入れができなくなっていたり、信号機の意味がわからなくなって事故につながるなどというケースが出てくる。

車の運転ができても、駐車した場所の記憶がなくなって、どこかに行っても帰れなくなるというケースもある。車線逆走も重大な社会問題だ。特に高速道路に迷い込んで、車線を逆走すると、そこは走行車線ではなく、追い越し車線なので、スピードを出した車と正面衝突してしまうことになる。こういう事故が近年、増えていることが問題である。

つまり運転できるから認知症の症状はさほどではないという考え方は間違いなのだ。家族の方は、少しでも認知症の症状と疑わしい症状が出てきたら、運転させないような対策を講ずるということが大事である。

なぜなら認知症の人が運転することができてしまうということは、それは一般市民が常に危険にさらされて、いつ事故に巻き込まれるかわからないという意味なのである。さらにそれは、認知症ドライバー自身の生命を危険にさらすだけではなく、認知症であるがゆえに、本人に自覚がないまま、罪もない一般住民を巻き込んだ死亡事故を起こしてしまい罪に問われたり、世間から非難を浴びたりするという結果を生み出しかねないという意味でもある。そしてその非難の矛先は、認知症の人の家族にも及んでしまうだろう。

認知症の人自身が、運転をやめようと判断することは、症状が進行するほど難しくなるだろう。そうであればもっと強制力の伴った、運転免許返納処分の強化を進めるべきではないだろうか。運転するという個人の権利の侵害ということを心配する向きはあるだろうが、事故に巻き込まれるたくさんの子供たちの命の重さということを考えれば、それは必要な対策なのではないだろうか。

講習予備検査(認知機能検査)の対象年齢も引き下げ、基準も厳しくして、免許取り消し処分の強制力も強化しないと、認知症高齢者が加害者となり、罪もない一般市民が巻き込まれる交通死亡事故は格段に増加してしまうだろう。

そうであれば同時に車の運転も、手続記憶だけでできてしまうのではなく、例えばエンジンの始動の際に、パスワードを入力しないとエンジンがかからない仕組みを導入する等、エピソード記憶や意味記憶が失われていては運転動作ができないような車体改造の思想が自動車メーカーにも求められるのではないだろうか。

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