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第58回 糸を縒(よ)り、紡(つむ)ぎなおす<ソーシャルワーク>

2016/06/20

高齢者介護の仕事をしていると、時々家庭内の虐待行為と思しき状況に出くわすことがある。家族に虐待を受けていると思われる状況が、高齢者の身体に現れていることが多いが、行為を目撃したわけでもなく、高齢者自身も正確な状況を訴えられない場合、それは想像の域を超えることはない。

しかしそうした状況を放置できるわけもなく、我々は様々な方法で、家庭内にも踏み込んでアプローチして状況改善に努めることとなる。時としてそうした場合、緊急避難として、介護施設のショートステイを利用したり、場合によっては行政職員の介入を依頼して、特養への措置入所へとつなげたりする場合がある。

今年の3月まで、僕は特養の施設長を務めていたため、こうしたケースの受け入れ施設という立場にあったわけである。こうしたケースの場合、介入した行政職員は、措置入所を行った時点でその役割を終え、ケースも終了とすることになる。虐待を発見・通報した関係者も、虐待を受けていると疑われた高齢者が施設入所して、家族による虐待が行われる環境ではなくなった時点で、問題解決として関わりを終えることが多い。しかし虐待を受けていた高齢者を受け入れる側の施設は、ここからがこうしたケースの支援開始である。それは単に、措置入所した方に施設サービスを提供するという意味にとどまらず、虐待を受けていたと疑われる高齢者と、虐待行為に及んでいたとされる家族の関係を再構築するという意味を含んでいる。そこで必要とされるのはソーシャルワークの視点であり、施設の相談援助職は、施設内で利用者の暮らしを構築するだけではなく、いったん壊れかけた家族関係の再構築という視点から、家族全体に介入していくという考え方が求められる。

虐待という行為自体は、いかなる理由があっても許されるものではない。しかしソーシャルワーカーは、裁判官ではなく支援者である。その罪を糾弾するのではなく、そこに至った様々な事情を慮(おもんばか)り、行為として許されざる部分はしっかり認識した上で、そうした行為に至った人の事情も受け入れ、再びそのような行為に至ることがないような心の支えになるとともに、虐待行為を行った当事者と、虐待を受けた本人との関係修復に努める必要がある。誰しも、理由なく身内を傷つけたいと思っている人はいないはずだ。自分の家族に暴力を振るったり、暴言を投げつけたり、必要な介護を放棄するに至る理由は様々であり、そこに至るまでに虐待行為を行う人自身にも、強い心の葛藤が生まれているケースは少なくはない。特に虐待を受けていた人が認知症である場合は、認知症の人の言動に強いストレスを感じていたことが原因であることが多い。

認知症は、そのひとの人格とは別なのだから、家族がそれを理由にストレスを感じて、暴力を振るうことは許されないという人もいるだろうが、家族は介護の専門家でもないし、認知症に対する正確な理解があるとは限っていない。認知症の人の、(家族にとって)理解できない言動に、24時間向かい合っていることで、心が壊れる人もいるのだ。ある意味、虐待という行為に及ぶ人自身が、他者を傷つけるという行為によって、SOSを示しているのかもしれない。それは善悪の問題だけで評価すべき問題ではなく、誰しも強くはないし、誰しも常に正常ではおれず、人は誰しも、誰かの助けを必要とする可能性がある存在であるという理解で相対するべき問題である。虐待行為を行っている人も、心の奥底では苦しんでいる場合が多いのだ。

施設入所後に、家族関係の再構築を行わない限り、この傷は消えることはない。つまり関係修復のための介入とは、虐待を受けていた人を救うためだけではなく、虐待行為を行っていた人をも救うことなのだ。施設入所という状況は、煮詰まった家族関係を見つめなおすために、いったん距離を置いて考える時間を作るという意味がある。そこにソーシャルワーカーという専門化が介入することによって、複雑に絡み合った糸をほぐして、良い方向に向かうことができるかもしれない。施設入所によって、虐待がなくなったからといって、そうした部分に積極的に介入しないと、ご家族としての縁を失って、一人寂しくなくなっていく高齢者がそこに一人暮らしているだけの結果となってしまうかもしれない。そして、そうした介入ができる専門家は、施設入所した人の場合、施設のソーシャルワーカーしかいないのである。

そういう意味で、施設のソーシャルワーカーが、施設利用者の暮らしを護るという意味は、施設内だけの活動にとどまるものではないということになる。施設利用者の家族に介入することは、施設ソーシャルワークの付帯業務ではなく、本務であることを忘れてはならない。なぜならば、絡んだ糸を解きほぐし、時には糸を縒りなおし、切れた糸を紡ぎ直すのが、ソーシャルワークの本質だからである。人の暮らしに介入するソーシャルワーカーは、そうした行為を積み重ねて、人の幸福とは何かを追及する使命がある。そのことを胸に、日々人を優しく見つめてほしい。見つめていきたい。

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