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第60回 みにくい衝動を正当化する論理を許すな

2016/08/22

社会福祉実践は「人間尊重」の視点を基盤とするものだ。人間尊重とは、人がどのような能力を持っているか、どのような状況に置かれているかに関係なく、人として存在していることそのものに価値があるという人間観だ。それは決して建前ではなく、我々の唯一絶対の人間観である。なぜなら人の尊厳を護ることも、この人間観によって支えられるものであり、それがなくなれば社会福祉実践は成立しなくなるからだ。そしてその人間観を失うことは、我々の存在意義さえ危うくすることを意味する。

かつてこの人間観に立ちはだかったナチスドイツは、優生学思想基づいて、社会の役に立たないとした人々を殺戮する政策を実行した。そしてその対象は、精神病の人や遺伝病を持つ人からはじまり、労働能力の欠如した人、夜尿症の人、脱走や反抗した人、不潔とされた人、同性愛者などに広がっていったという。人類として最も恥ずべき卑劣な行為が、国家政策として行われていたわけである。人間は愚かだ・・・。我々は二度とそのような愚かな行為を繰り返さないように、今居る場所で人間尊重のアクションを続けていくしかない。声を大にしてそのことを唱えていくしかない。

19人もの尊い命が奪われた相模原市の知的障がい者施設の事件は、人間尊重の人間観を破壊し、その人間観を持つすべてに人を迫害する卑劣な行為であるが、それが薬物に基づく病的な思想から発する動機だとしても、決して許されるものではなく、一分の正当性も認めてはならない。そのような醜い衝動を正当化する理屈に、我々は決して屈してはならない。

我々は社会福祉実践者として、人間尊重をすべての社会で実現するように務めていかねばならない。そうであれば、こうしたショッキングな事件が起こった直後だからこそ、その人間観に基づいた実践に歪みがないかを振り返り、検証すべきである。重い認知症をもつ利用者や意識障害のある人に対して、そうではない人と違った対応をしていないか、サービスマナーの低下が見られないかということも検証する必要がある。家族に対して丁寧語で会話する職員が、利用者に対して貯め口で話しかけるのは、この人間観を破壊し否定する行為につながりかねない。分け隔てた対応そのものが、知らず知らずのうちに利用者の人権を侵害し、虐待につながる恐れとなっていく。それはとても怖いことだ。

その怖さを自覚し、常に自戒しながら人間尊重の基盤が揺らがないようにしていかねばならない。それは今ここで我々がなし得る、被害者への唯一の慰霊の行動である。

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