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第66回 言葉があっても実態のない地域包括システム

2017/02/13

介護保険事業者に向けた集団指導や行政説明会では、「地域包括ケア」という言葉が飛び交っている。そのシステムがその地域に存在しているがごとく、あるいはそのシステムによって何かが完成しているがごとく、行政担当者の口から何度もその言葉が出てくる。しかし彼らはその言葉の意味をどのように理解して、どういう意味として使っているのだろう。本当にその概念や目的を理解して使っているのだろうか。どうもそうではなく、空虚な言葉としか感じられないことが多い。

地域包括ケアシステムの概念とは、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、医療や介護、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」であり、その目的は地域住民の、「生活上の安全・安心・健康を確保しながら、住み慣れた地域で暮らし続ける」ためである。

国が地域包括ケアシステムという言葉を最初に紹介した「2015年の高齢者介護」では、そのモデルとして広島県尾道市(正確に言えば旧・御調町)モデルを紹介していた。しかしその方式は、お金も人もかけて展開していたシステムである。だが今国全体で推し進めようとしている地域包括ケアシステムとは、それと真逆に、お金をかけなくて済むシステムである。それで本当に領域横断のサービスの一体提供が、生活圏域ごとに可能になるのだろうか。僕はそううまくいかないのではないかと思うし、実際にうまくいっている地域は少ないと感じている。

そもそも給付抑制のために、国が盛んに唱えていることを考えてほしい。それは「全国横並びサービスではなく、地域の特性に応じた工夫を求めることによって、限りある財源を効率的・重点的に配分する」というものだ。地域包括ケアシステムを作り上げることによって財源は効率的・重点的に使われて抑制されるというわけである。ではなぜ地域包括ケアシステムにすれば、財源抑制できるのか?、それはこのシステムの中心的サービスである「介護予防・日常生活支援総合事業(新総合事業)」の財源構造を見れば明らかだ。

介護保険制度の介護給付費にしても予防給付費にしても、使えば使っただけそこに給付をしなければならないという、いわば「出来高」に応じた支出構造になっている。しかし新総合事業は、その地域の高齢化率や前年度の予算支出等によって計算された、「年額上限予算」によって運営されるものだ。つまりサービスをいくら使おうとも、国から給付される予算は、あらかじめ決められている上限をオーバーすることはないのだ。そのために市町村が、その予算内で運営できるサービス提供方式の工夫をしなさいというのが、地域包括ケアシステムの一面でもあり、「効率的・重点的に配分する」という意味は、非効率で重点視できない部分にはお金はかけないから、自己責任で何とかしなさいということである。そして地域行政には、年額上限がある予算を手渡して権限を与える替わりに、地域保険者を中心にしながら、民間事業者をうまく巻き込んで、その尻をたたきながら、住民福祉の質を担う義務を負わせて、社会保障費の自然増を抑制するということだ。

地域住民の福祉の向上は、地域の関係者に「多職種協働」というお金のかからない、耳障りのよい言葉とともに、その義務を負わせつつ、その方法論や結果については、地域行政・地域介護事業者に丸投げされたのが地域包括ケアシステムの現状なのである。その中で、本来であれば多職種協働あるいは他職種協働の旗振り役の行政は、相も変わらず庁舎の中の縦割り組織の中で、協働とも連携とも関係のない仕事をしていながら、民間事業者にわけのわからない指示や要求を投げつけている。まったくもって滑稽なシステムである。

そんな空虚な言葉や、実体のないシステムで、近い将来の老後の暮らしの質が左右されるとしたら、この国の多くの地域はお先真っ暗である。そもそもニーズに応じた暮らしの場の選択が、一番先に必要とされるシステムであるとしたら、政治家にはそのことを真っ先に説明する責任があるはずだ。地域の首長は、住み慣れた地域、先祖代々のお墓や土地のある地域からの住み替えも必要であるとの観点から、地域再編して、コンパクトシティーを目指すという一大政策転換が求められる。それをしないで、地域包括ケアシステムなどできっこないし、できたとしてもそれは、幻か砂上の楼閣でしかない。

言葉に踊り、言葉に踊らされ、年額上限のあるサービスに移行する方策がシステムの構築だと勘違いしている輩に、地域福祉はズタズタにされながら、アリバイ作りの施策だけが進行中である。丸投げされた施策は、的確にそれを受け取る対象が見つからないまま、地域の中で腐りうずもれていくだけかもしれない。答えは数年後に明らかになるが、そのときには遅きに失するものがたくさん出てきそうである。

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