HOME > U+(ユープラス) > masaの介護・福祉よもやま話  > 第68回 介護の職業を選んだ人たちへのエール

U+(ユープラス)

U+のTOPへ

mssaの介護・福祉よもやま話

コラムニストの一覧に戻る

第68回 介護の職業を選んだ人たちへのエール

2017/04/10

希望を胸に、社会人として飛び立とうとしているあなた。どうぞその希望を達成するために、前を見続ける人になってください。時として、あなたのバリアは先輩職員かもしれません。しかし低き意識に迎合したり妥協する必要はないのです。そんなものに押しつぶされてはなりません。イノベーションが必要な職場では、あなた方が吹かせる風が唯一の力なのです。僕はそういう人々を応援して、力になりたいと思います。

新たなステージで頑張ろうとしているあなた。どうぞその気持ちを忘れないでいてください。そして自らの職業に誇りをもてる仕事をしてください。私たちと同じように介護事業に携わる人は、この仕事が「対人援助」であるということを忘れないでください。

介護事業だからといって、収益を挙げることを心苦しく思う必要はないのです。良い仕事をして、それに見合った報酬をいただくということは何も恥ずかしくないのです。スキルの高い経営者が、介護事業の中で大きな収益を挙げて豊かになることに何の問題もないのです。

けれども忘れてはならないことがあります。護らねばならない一線が存在します。介護とは人の暮らしを豊かにするために存在するのだという矜持を捨ててはなりません。それを実現するための理念は捨ててはならないのです。介護サービス事業の利用者の尊厳を無視して、人を不幸にして収益を挙げるのは法律では罰せられなくとも、人として許されることではないことを決して忘れないでほしいと思います。

人を不幸にして儲けたとしても、それは誇りある職業とは言えませんね。そんな誇りなどくそくらえだと思う人もいるかもしれませんが、自らの生活の糧である職業に誇りを持つことができない人は幸福だと言えるでしょうか。自分の親や子に、胸張って自分の仕事ぶりを語って聞かせることができない職業に就いている人は、本当にそれで満足なのでしょうか。

お金や物があふれていることだけが幸福なのでしょうか。勿論、お金や物品は必要なものです。それを否定する必要はありませんが、人としてこの世に生を得て、わずか数十年の人生を歩む中で、それだけを目的として生きることが良い人生でしょうか。価値観は人によって様々ですから、幸せも、良い人生も、僕が決められるものではないです。けれど人としてこの世に生きている以上、人を不幸にして、それを踏み台にして自分の幸せが組み立てられるとしたら、それは人として許されることではないし、望むことではありません。それはとても空しいことだとではないでしょうか。僕はそう思います。

最も幸せな人とは、小さなことにも幸せを感じる人ではないでしょうか。最も不幸な人とは、何に対しても満足できない人ではないでしょうか。介護という職業は、いつも小さな幸せを見つけることができる職業でもあります。何気ないことを、心をこめて行うだけで、誰かが笑顔になってくれたり、感謝してくれたりします。そのことを幸せだと思えるとしたら、あなたも私も、とても幸せな人生を歩むことができるのではないでしょうか。

ただし間違ってはいけないことがあります。介護サービスを利用する人の感情が、常に肯定的なものではないということです。そこに存在する方々には、喜怒哀楽があり、介護サービスを泣きながら利用している人がいて、どうしてわかってくれないのと悲しんだり、怒ったりしている人もいるということです。それらの方々の笑顔や満足感を、どのように引き出すことができるかを考えて実践するのが、私たちの専門性といえるかもしれません。

誰かの哀しみや苦しみを見逃さないでください。人の喜怒哀楽に敏感になって、その感情に寄り添うことができ、少しでもその方の手助けができたと感じられることを喜びにできる人であったら、あなたはとても素敵な人だと思います。そのような素敵な人が増えてくれることを願います。そのような素敵な人となら、きっとどこかでつながることができるでしょう。

そういう人たちが、誇りを胸に働き続けられる職業であることを願います。そのために何をしたらよいのか。それを一緒に考えていきましょう。

上記のコラム購読のご希望の方は、右記の登録ボタンよりお申込みください。

登録はこちらから