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第92回 自分が入所したい施設を目指そう!では施設介護は良くならない

2019/04/22

僕が大学を卒業して初めて就職した社会福祉法人は、開設したばかりの法人で、僕が就職した月に50床の特養をオープンさせることになっていた。つまり僕はオープニングスタッフの一人として、社会人のスタートを切ったわけである。その時、どのような施設を作るのかということについて、当時の施設長から、「自分や自分の家族が入りたいと思える施設づくりをしましょう。」といった話を聞かされた。その施設長は市役所からの天下りで、熱海のホテルで数日間泊まり込んで研修を受けただけで得られる資格で施設長になった人だったので、介護の知識は素人と言ってよいレベルであった。しかし、素人レベルだったのは僕も同じである。大学で社会福祉を専門に学んだとはいっても、就職したばかりで、社会福祉援助の仕事を、経験したことのない状態で何もわからない若造に、社会人の経験を積み重ねた施設長の言葉は、決して軽いものではなかった。だから、自分がこれからスタッフとして働く特養を、自分が入りたくなるような良い施設にしようという意気込みを持って臨んだ。しかし、「自分が入所したい施設」ってどんな施設なのかということは、スタッフ個々人のイメージに任されていたため、「○○を△△しなければならない」という具体的な指示はなく、「自分が入所したい」という要素は、広く浅く、どうとでも捉えられたというのが実情だったのではないか。そこでは、「自分が入所したい施設づくり」と唱えられながら、入浴は週に2回しかできない状態が長く続いていたし、おむつ交換は定時にしか行われておらず、おむつをしている人の排泄感覚は無視されていた。食事や入浴・排せつをするためには、意味もなく廊下に何十分も並んで、順番待ちをしなければならないなど、1日の生活を終えるためには必ず行列に、並ばねばならない生活が強いられていた。それが「自分が入所したい施設を目指そう」と唱えている施設の実態であった。

そうした実態を変えることができたのは、介護サービスを自分目線ではなく、利用者目線で見直したことによってであり、「自分が入りたい施設はさておき、施設を今実際に利用している人は、何を求めているのだろうか」ということを徹底的に考えるようになって以後のことである。そういえば「自分が入所したい施設を目指そう」というような言葉は、その施設長だけが言っていたわけではなく、周りを見ると、いろいろな場所でいろいろな人が、お題目のように唱えていた。そして、その言葉は今もなお、介護業界で唱えられており、職員に向かって、「自分が入所したい施設を目指そう」と、訓示している施設長なり、管理者なりが全国にたくさん存在する。しかし、そんなことを言っている人が、たくさんいるにもかかわらず、地域住民がこぞって入所したいと思える施設が、そこかしこに存在するという話はあまり聞かない。週2回しか入浴できないという生活を強いている特養も、そこかしこに残存している。

特養は長い間待機者が数多くいて、施設によっては100人待ち、200人待ちが珍しい状態ではなかった。しかし、それはその施設が地域住民から絶大な支持を受けている結果ではなく、障害を持っているため行き場のない人が、仕方なく選んでいる場所に過ぎなかったという実態がある。「自分が入りたい施設」ではないけれど、入所を申し込んで待機しなければならなかったのが、特養の実態であった。そもそも地域住民から選ばれるサービスの質を考えたとき、果たして「自分が入所したい施設」などという基準が、それにつながるのだろうか。

介護とは関係のないレベルで他の商売を考えたとき、ヒット商品はどのように生まれるかを考えてほしい。顧客に選ばれる商品とは、必ずしも自分が選びたい商品と一致しない例は枚挙にいとまがなく、例えば自動車販売の場合、自分が乗りたい車を開発することが、ヒット商品の開発につながらないことは多い。ヒット商品を生み出すためには、自分の価値観や好みに偏った考え方をしないで、顧客が何を求めているかという、「顧客ニーズ」を徹底的に、調査・分析する必要があるのだ。自分の好みというレベルで考えていては、自分という個人の価値観が絶対的なものになりすぎて、多様なニーズに対応する柔軟性を失ってしまうことが多い。

そもそも、仕事とはおもしろいものである反面、面倒くさい様々な作業が伴うものなので、自分の好みレベルで物事を考えていては、「自分ならこれでもいいや」という妥協が生まれてしまうのである。施設サービスという介護労働を商品とする場合、肉体労働をできるだけ軽くするために、自分ならこれで良いという安易な妥協が生まれることも、「自分が入りたい施設づくり」というお題目で正当化されてしまうのである。介護施設にはびこる「世間の非常識が介護の常識」という状態も、自分の価値観レベルで考える感覚麻痺に、起因していることが多いのである。自分だったら家族と同様に馴れ馴れしく話しかけられても、窮屈でなくて親しみを感じられるので、それでいいという感覚が、タメ口で利用者に接して恥じない馬鹿者を大量生産してしまうのだ。

「自分が入りたい施設」レベルで物事を考えるから、介護のプロフェッショナルという意識を薄れさせ、家族ではないプロが提供する介護サービスが求められるのに、家族レベルの馴れ馴れしい無礼な態度をも生み出してしまうわけである。介護施設が目指すべきは、「自分が入所したい施設づくり」ではないのだ。真に必要とされていることは、介護施設の利用者を顧客と正しく認識し、「顧客が選びたくなる施設づくり」であって、地域住民のニーズを徹底的に調査し分析する介護事業経営が求められているのである。「自分は〜・自分が〜」ではなく、「お客様は〜・お客様が〜」という視点が求められており、今、介護施設を利用している人・利用しようとしている人の時代背景や生活習慣を見つめ、それらの人たちのニーズを徹底的に追及することこそが求められているのである。今後、介護事業の利用者層としても、大きな塊となってくる団塊の世代の人々は、どう思うだろうかという視点から見ないと、介護事業経営は回らなくなる。

だから、いまだに職員に対して、「自分が入りたい施設づくりを目指しましょう」なんて言っている施設のトップや管理職はその手腕を疑われるし、対人援助の専門家としてのボキャブラリーには重大な欠陥があり、介護事業を管理するためのセンスがないと言っても過言ではないのである。いい加減に、個人の感性に頼る「介護サービスの品質管理」は、やめていただきたいものだ。

顧客ニーズに合わせた、具体的な施設サービスをシステムに組み込むために、何をどうしたらよいのかという具体的指示が伴う職員教育をしてほしいものである。

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