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第97回 なぜ介護実習生に作業しか教えず、愛を失くせと説教するのか

2019/09/24

介護人材不足の問題は解決の糸口さえ見えず、全国どこへ行っても、人がいないと愚痴をこぼす人が多い。そして介護事業経営の最大のリスクも、「人がいなくなって事業が継続できなくなること」であり、そのことに危機感を持つ介護事業経営者の方も多い。介護サービスの場で働く人にとっても、それは自分の職場がなくなるかもしれないという危機感につながっていくと思うが、それ以前に、今現実に行っている仕事が回っていかないという深刻な状態に向かい合っている人が多い。だから多くの介護事業経営者及び介護従事者は、介護の仕事に就こうとする人が、もっと増えてほしいと願っているはずだ。そのためには介護福祉士の養成校に入学する学生も増えてほしいと思っているはずだ。

そうした介護関係者に自覚してほしいことがある。知ってほしい実態がある。それは介護福祉士養成校に入学する学生は減り続けているが、その中で養成校に入学する学生は、それなりの高い動機づけを持つ人たちだ。ところがそうした学生の動機づけをつぶし、介護の仕事に就こうとする意欲を失くさせる元凶が、今介護現場で働いている人の姿勢や考え方そのものであるということである。

例えば現役高校生が進路希望として、「将来介護の仕事をしたいので、介護福祉士の資格を得るために専門学校に入学したい」と表明した途端、その学生は職員室に呼び出され進路指導を受けるという実態をご存知の方はどれだけいるだろうか?。学生はそこで、担任教師と進路指導の担当教師に、「将来を考えて、その進路を見直しなさい」と説得されるのだ。介護の職業に就こうとする学生が減っているのは、こうした実態が全国各地に存在しているからである。そのように説得されても、なおかつ介護福祉士養成専門学校に入学してくる学生とは、他に行き場のない能力の低い学生ではない。多くの入学希望者は、「人の役に立つ仕事をしたい」・「体の不自由な人の支えになりたい」等という高い動機づけを持っている若者なのである。そうした動機づけを持つ若者たちは、そうした考えに至る経験と理由を持っている場合が多い。例えば、「自分が大好きだった祖母が特養で亡くなったのだけれど、そこにはとても尊敬できる介護職員がいて、祖母がなくなる瞬間までとてもお世話になった。私もそんな介護職員になりたい」とか、「自分の母親がヘルパーをしているのだけれど、いつも生き生きとして働きながら、お年寄りの暮らしを支えている姿を見て、私もそんな母親と同じ仕事をしたい」とか、「ボランティアで初めて訪れた特養で、若い介護福祉士の方が働く姿が格好良くて、利用者の方々もとても幸せそうだったから」とかいう理由である。

それはまだ幼い考え方の中で生まれた理由かもしれないが、同時にそれはとても尊い考え方であり、大人はその考え方を大切にしなさいと教える人であるはずだ。ところが介護事業で生活の糧を得ている先輩たちが、そうした若者の尊い考え方を、「理想と現実は違う」という言葉でつぶしにかかるケースが実に多い。そうしたスキルの低い職員が数多く存在するのが、この国の介護の場の実態でもある。そんな国で介護の仕事に就きたいという若者が増えるわけがない。

介護実習に対しても、あまりにも現場の意識レベルが低すぎる実態が垣間見える。学生は実習の場で、知識と技術を学ぼうとしているのだ。そんな学生になぜ、その職場の作業を教えなければならないのか・・・。その職場だけにしか通用しないルーチンワークを学生に教え込んで、何の勉強になるというのだ。職場の動きに合わせて何時何分に何をしたり、物品の置き場所はどこであったりというのは、その職場で働いている労働者が覚えればよい作業であり、学生が実習中にそのことを覚えても何の意味もないことだ。それは社会人として実際に仕事に就いた後で覚えればよいことである。教えなければならないことは、対人援助のプロとして介護支援を必要とする人にどのように向かい合うのかという方法論である。身体の不自由を抱える人に対して配慮すべき点や、そこで使うべき介護技術とは何かを、その根拠とともに指導するのが実習先や実習指導者に求められていることだ。

実習中に学生が利用者とコミュニケーションを交わしている姿を見て、職員が注意するような職場も多い。「そんなふうに話ばかりしていると、実習がいつまでたっても終わらないわよ。もっと決められた仕事をしなさい」なんて注意する職員は、実習指導者としてのスキルはゼロである。そういう方法で人材となる卵をつぶしているから、現場の作業が回らなくなるほど人材が枯渇しているのだということに、なぜ気が付かないのだろうか。

どんな状態に置かれた人に対しても、人間愛を忘れずに接しようとしている若者に、そんな青臭いことを言っていると仕事は終わらないと説教する実習に何の意味があるのか。愛なんて介護にいらないというのは指導になるのか。科学的根拠に愛情というエッセンスを添えて初めて、介護が人の暮らしを護る行為につながるのではないのだろうか。仕事を教えるのが実習ではない。あなたが行っている仕事を覚えるために学生を実習させているわけではなく、教室で学んだ知識や技術が、介護支援の現場でどのように生かされているかを確認するのが実習である。・・・しかし現状では、そんな知識や援助技術なんて持っていない職員ばかりだという認識しか持つことができずに、介護の仕事に夢も希望も失って学校さえ去っていく学生がいる。

正しい介護技術を使うことで、暮らしぶりが良くなる人がいて、丁寧なコミュニケーション技術で接することで心豊かになる人がいることを確認できるのが本当の実習だ。コミュニケーション技術を高めることにより、認知症の人でも落ち着いて暮らすことができるという事実と、その方法を伝えることが本来の介護実習である。そうした対人援助のすばらしさを伝えるのが実習指導者の務めである。それをしないで作業労働しか教えず、忙しい現場のルーチンワークをこなす手助けに、猫の手よりはましな学生を駒として遣おうとする介護実習先で、学生は「介護の仕事は人の役に立つ仕事だと思ったけれど、そうではなかった」と動機づけを失っていく。実習後の報告会で、学生は実習先で教えられた方法を振り返って、「利用者への対応が流れ作業になってしまっている」と報告してくる。同時にそんな方法に胡坐をかいている多くの職員の姿を見て、「あんな鈍感な人たちの中で働くのは不安だ」・「こんなやり方が、人のためになっているとは思えない」として介護福祉士養成校を中途退学してしまう人もいる。

つまり実習先が介護現場の金の卵である若者をつぶしているという実態があるのだ。そのことを変えない限り、この国の介護人材不足は永遠に解消しないだろう。

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