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第108回 必要な治療を行わないことを看取り介護とは言わない

2020/11/09

全国の特養の8割以上が、看取り介護加算の算定届を行っている。しかし本当の意味で、「看取り介護」を行っている施設はそんなに多くない。看取り介護加算の算定要件をクリアして、施設内で亡くなる状態を、「看取り介護」と称しているだけの施設も多い。しかしそれだけで看取り介護を行った気になられては困るのだ。少なくとも看取り介護と称するならば、逝く人・残される人、それぞれが残り少なくなった命の期間を意識した、様々な思いが交錯する「出来事」が生まれなければならない。

褥瘡をつくらず、身体を清潔に保って、安楽に最期の時間を過ごすように支援するのは当たり前である。それは介護のプロとして終末期に関わる者が最低限保証すべき状態であって、特別なことではない。それに加えて、この世に生まれ生きてきた人が、最期に刻む「時(とき)」を意識しながら、最期まで人として生きてきたエピソードを、刻むための支援が求められるのだ。

漫然と死を待つだけで、看取り介護対象者が、他者と十分な関わりも持たずに、寂しく哀しい状態を放置しても、加算の算定要件はクリアできるかもしれない。しかしそれは本当に看取り介護ではない。日がな一日、カーテンが閉ざされた部屋で、介護職員がルーチンワークをこなすだけで、他の人とは一切関わりを持たずに、何日も過ごした挙句、たった一人で旅立っていったとしても、加算要件さえクリアすれば看取り介護を行ったということができる。しかしそこで逝った人は、人生の最終ステージに生きる意味や、この世に生きてきた喜びをかみしめることができたのだろうか・・・。残り少なくなった人生の期間を意識しながら、「自らの人生の最終ステージ」を尊厳ある人として、生きることを支えるのが看取り介護である。そこで最期のエピソードを、刻むことができることに意義がある。看取り介護対象者に意識が無いとしても、残される遺族や近しい人が、その最期の時間を意識した関わりを持つことができる期間が、看取り介護の実践期間でもあるのだ。

僕が、特養の施設長を務めていた際には、看取り介護対象者の部屋には、1日最低1回は訪ねて、意思疎通ができない人であっても、非言語的コミュニケーションを取ることに努めていた。僕だけではなく、介護職員以外の事務職等、様々な職種の従業員が、看取り介護対象者の傍らで過ごす時間を創り出して、一人で寂しく過ごす時間を少しでもなくすようにしていた。そうした数々の「思い」が、看取り介護対象者のベッドサイドに集まる取り組みを、「看取り介護」と呼ぶのである。

ところで、看取り介護の対象となる人とは、「医師が一般的に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した者であること」とされており、医師の終末期診断が必須とされている。治療効果がなく、回復の見込みがないという確定診断を行っているからこそ、救急救命の対象ではないとして、救急搬送をする必要もなくなるわけだ。

しかしこのことを拡大解釈して、「もう年だし、十分長生きしたので、何かあっても救急車は呼ばずに、そのまま施設で対応してください。」と要求する家族がいて、それに応えるべきか迷っているという相談を受けたりする。しかしそのような要求に応えることは許されない。迷うような問題でもないのである。我が国では、「尊厳死・安楽死」は認められていないのである。看取り介護はあくまで、「自然死」につなげるものでなければならず、時にそれは「平穏死」などと表現されることはあっても、治療できる病気を放置して、救急救命もせずに、死に至らしめることは許されておらず、そんな行為は犯罪でしかない。

一般的に認められている医学的知見とは、「終末期とは、積極的な医療がないと生命の維持が不可能であり、またその医療を必要としなくなる状態には、回復する見込みがない状態の時期」でしかなく、どんなに高齢であっても治療を試みてみないことには、終末期とは判断できるはずがなく、その治療の試みを行って始めて、医師の判断として「回復の見込みなし=終末期」とされるのである。口からものを食べられなくなった人であっても、胃瘻による経管栄養を行えば延命は可能だが、あえてそれを行わずに死に至るというのは、口から食事を摂取する状態には回復しない状態で、その人自らが、自分の生命を維持できなくなった状態にあると、医師が診断して初めて、経管栄養を行わないという結論に至るわけである。

医師の診断や介入がない状態で、家族が勝手に救命しないでというのは、「殺人教唆」でしかない。このことを、看取り介護に携わる関係者すべてが、しっかりと理解しなければならない。そうであれば、看取り介護には、いかに医師の判断による終末期診断というものが、重要かということがわかろうというものだ。そして終末期とは、「数週間ないし数カ月(およそ6ヶ月以内)のうちに死亡するだろうと、予期される状態になった時期」であることも、一般的に認められている医学的知見なのであるから、看取り介護が1年にも及んでいる状態が、いかに不適切であるかということもわかりそうなものだ。

このあたりの理解不足をなくしていかないと、看取り介護を実践しているという場所で、治療を放棄した、緩慢な死への誘導が行われかねないのである。それは殺人と同じである。

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