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第109回 愛を積むケアが生み出すもの〜感情の記憶と認知症〜

2020/12/07

対人援助の仕事に就くものにとって、無差別平等の意識は非常に重要だ。

介護の仕事は、感情ある人間同士が、接しなければ成立しない仕事であるからこそ、好き嫌いの感情が生じやすい。介護サービス提供者も人間である以上、顧客である利用者に対して、好き嫌いの感情を抱くことはやむを得ない。だからといって、その感情に左右されて、利用者のサービスの質に影響が出ることは許されない。プロである以上、その感情をコントロールして、誰に対しても平等に、サービスを提供する必要がある。だからこそ、自己覚知による感情コントロールが求められるのである。そうすることによって、自分の好悪の情に左右されずに、無差別平等の姿勢で利用者に関わることができるのだ。

ところが、感情のコントロール以前に、最初から人を差別して、介護に関わっている人がいる。意識の中で、自分より立場の弱い人を見下す人がいるのだ。こうした態度を放置してしまえば、介護サービスを受ける人は、サービスを提供する人の顔色を、常に伺っていなければならなくなる。そうなれば、その行為は援助ともケアとも呼ぶことのできない、劣悪な行為に成り下がる。例えば、認知症の症状がない人に対しては、丁寧語で話しかけるのに、認知症の人に対しては、タメ口で話しかけている人がいたりする。こうした態度は、認知症の人を見下しているということに他ならない。こうした態度を取る人は、無意識のうちに、認知症の症状がない人と、認知症の人は違う人間であると考えているのだ。だから言葉遣いが、自然と異なってしまうわけである。

無差別平等の精神から言えば、どのような症状があろうとなかろうと、人としての価値は変わらない。職業として人にかかわる人間が、症状の違いで、接する態度にも違いが出るなんてことは許されないのである。しかも、アルツハイマー型認知症の人は、無礼で馴れ馴れしいタメ口に、一番傷つきやすい人でもある。そのことも理解する必要がある。アルツハイマー型認知症という症状の特徴の一つに、「海馬」の機能不全というものがある。ほとんどのアルツハイマー型認知症の人は、海馬周辺の血流障害が生じて、海馬が働かない状態になっている。この海馬というのは、見たり聞いたりした情報をいったん取り込んで、記憶にするための器官である。その器官が機能不全に陥っているのだから、新しい情報を記憶にできないのが、アルツハイマー型認知症の人の典型症状であると言ってよい。

それは、何を意味するのかを考えるうえで、こんな場面を想像してほしい。アルツハイマー型認知症の人が混乱し、行動・心理症状が強く出ているときに、時間を掛けて関わりを持ち、その人の気持ちに寄り添う態度に終始して、落ち着かせることができたとき、認知症の人は、落ち着かせてくれた人を、愛おしく見つめてくれるだろう。「ありがとう」と感謝されるかもしれない。しかし、その時落ち着かせてくれた人の顔も名前も、アルツハイマー型認知症の人は覚えることができないのである。混乱していた人を落ち着かせて、愛おしく思われた職員と、アルツハイマー型認知症の人が、翌朝あった時には、認知症の人にとって、その職員は初対面の人にしか過ぎない。だから、その職員が馴れ馴れしいタメ口で話しかけたときに、認知症の人は、「知らない人が、なぜ自分に馴れ馴れしく、話しかけてくるのだろう。」、「年下の人間が、なぜ自分に横柄な言葉や態度で、接してくるのだろう。」としか思わない。それは、認知症の人を怒らせ、混乱させる要素にしかならないのだ。だからこそ、認知症の人に対しては常に、ゆっくり静かに近づいて、丁寧な言葉で目を見て笑顔で、話しかけるという態度が求められるわけである。

そういう意識を持つことができない人は、対人援助の仕事に就いてはならないのだ。なぜなら、そのことに気が付かないことは、即ち人の心を傷つけ、人の心を殺すことを、何とも思わないことと同じだからである。そんな人は、さっさと別な職業を探した方がよい。

しかし、そうであるなら、あんなに時間を掛けて丁寧に接した記憶も失われるのだから、接した時間も労力も無駄になると考える必要はない。認知症の人に、時間を掛けて丁寧に接しても、何の意味もないと思う必要もない。記憶には種類があって、それぞれ記憶する回路が違うのである。

過去にあった出来事の記憶は、「エピソード記憶」と言われる。自分がいつ結婚したとか、子供がいつ生まれたとか、楽しかったり、辛かったりする思い出などがエピソード記憶に含まれる。
また、言葉の意味の記憶は、「意味記憶」と言われる。誰々さんはなんという名前だとか、りんごの色は赤という色だとかの記憶である。

この二つの記憶は、海馬を通して記憶されるから、海馬に障害のあるアルツハイマー型認知症の人が覚えることができない記憶である。

しかし、仕事や家事の手順を覚える「手続き記憶」は、海馬を通さず小脳に残る記憶だから、アルツハイマー型認知症の人の記憶としても、残されている部分が多々あることと同様に、感情の記憶も海馬を通さず、小脳に残る記憶なのである。

さっき食べたものが何かを、記憶できない人であっても、「あの人は良い人だ。あの人は好きな人だ。」と、いうことは記憶できるのだ。毎朝、最初に出会ったときには、「この人は誰だろう」と、怪訝な顔で迎える認知症の人と、丁寧にあいさつを交わし、丁寧な言葉で目を見て笑顔で話しかけるということを続けていると、認知症の人の感情の記憶がよみがえり、「この人は、自分にとって良い人だ。」と思えて、昨日や一昨日より、時間を掛けなくても落ち着いて会話ができるようになるのだ。だからこそ、そうした感情の記憶が残され、少ない対応時間で、落ち着いてもらえるように、時間を掛けて、信頼を得られる対応をするときも必要になるわけである。そうして、時間を掛ければ、その掛けた時間は貯金のように貯まり、後々、その人が混乱しているときに接した際に、さして時間を掛けずに落ち着いてくれたりするようになるのである。

愛をかけずに、おざなりに対応するだけの時間は流れ、失われるだけになるが、愛を積めば時間は貯まるのだ。だからこそ、今、何をしたのかという記憶を失っても、感情の記憶は残っているから、認知症の人が、一瞬でも楽しい時間を過ごすことには意味があるのだ、ということを理解して、そのことを信じて認知症の人と、関わりを持ってほしい。認知症の人が、良い感情を持てる時間や、空間を作り出すことには、重要な意味があることを理解してほしい。

感情の記憶は、しっかり残るという証拠は確かにある。なぜなら、顔と名前を覚えることができない認知症の人でも、ごく自然に好きな介護職員と、嫌いな介護職員は見分けているではないか。あなたは認知症の人にとって、どっちの職員だろうか・・・。認知症の人の感情のあり様は、私たちのケアの質を映す鏡である。そのことを忘れてはならない。

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