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第124回 感じの良さというスキルを大事にしてください

2022/07/04

今後の介護事業における最大の懸念は、人材が確保できずに事業継続できなくなることだ。制度改正議論でも、この問題の解決が最大の課題となっており、現役世代が急減していく中で、今後の人材確保の難しさを指摘して、手を打たねばならないという声が高まっている。

つまり、必要な介護人材の確保は困難だと結論付け、今ほど人手を掛けなくても、良い介護事業の在り方を、制度全体の整備の中で、模索しようとしているのである。人によるインプットを減らして、自立支援や暮らしの保障などのアウトプットを、今以上に引き出すために、介護事業にも生産性の向上が、求められているというわけだ。科学的介護の確立も、そのために必要とされるのである。人間でなくてもできる業務を、テクノロジーで代替して、介護業務の大幅な効率化を図ろうとする考え方も、その一環として語られているわけである。

しかし、その方法を語っている連中が、実際には自分で、介護業務をしたことがない連中だから始末が悪い。介護業務の本質を無視して、そのわずかな部分でしかない表面だけを見て、自分がやったこともない行為を、「できるだろう」と決めつけて、機械や素人に任せてよいとする部分を、削り取っているだけだ。その典型が、「間接業務を補助的なスタッフに任せること」である。業務の一部を切り取って、そこを素人のボランティアや、現役をリタイヤした高齢者に任せて介護業務が減ったとでもいうのか?

そもそも、連続した業務の中にある一部分を、切り取ったからと言って、そこのつながりが消えたことを補う業務負担も、新たに生じている。例えば、食事介助を補助的スタッフに任せたとしても、利用者の食事摂取の状況(摂食状態や食事に関する反応など)は、情報として引き継がれなければならず、その伝達時間は、新たに生ずる業務時間である。ここをおざなりにすると、介護業務に支障が生じて、かえって生産性が下がるという事態になりかねないし、最悪の場合、介護事故につながってしまう。間接的業務の一部しか任せられない人間の指導や見守り、はたまた尻ぬぐいのために、かえって業務負担が増えたという、喜劇も生まれているのではないか。

どちらにしても今、介護サービスの場では、生産性を高める介護という名目の、利用者不在・事業者主体の介護が、横行し始めている。

なぜかと言えば、そうする方法は簡単だからである。例えば、介護という行為を、極めて単純な作業と割り切り、利用者の思いやニーズに、寄り添うことを一切せずに、決め事を機械的にこなして、それが終われば、次の作業に移ればよいのである。もっと具体的に言えば、介護業界から退場したメッセージという大手介護事業者が行っていたように、「ライン」と称するシフト表に基づいて、15分単位で労働を管理し、介護職個人の裁量で高齢者と接する時間は一切ない方法で、介護サービスを提供する「アクシストシステム」に、ICTや介護ロボット(見守りセンサーを含む)を紐づけて、新しいチャレンジによって生まれた、画期的なシステムだと喧伝すればよいだけの話である。そうした単純作業に専念して、機械的介護を黙々とこなすことで、介護の生産性が向上したと、言いふらしている事業者もあるのだ。そんな形の生産性の向上を図ろうと思えば、今この瞬間からできるのである。

生産性の向上を、介護サービスにも求めること自体は、決して否定するものではないが、それがこんな結果を生んでよいのだろうか。僕は人として、そんなことは許されないと思う。僕が人としてこの世に生かされて、介護という職業にかかわっている時代に、介護をそのような行為に、貶めることは恥ずかしいと思う。

介護は、感情を持った人に相対する仕事である。感情とは、物事や対象に対して抱く気持ちのことであることは、今更言うまでもない。喜び・悲しみ・怒り・諦め・驚き・嫌悪・恐怖などの人の心に寄り添い、できるだけ良い感情をもってもらうように努めるのが、介護という職業に従事する者の使命だ。

なぜならこの職業とは、誰かの人生の幸福度に、影響する仕事だからである。だから僕は、すべての関係者に、「立派な支援者になる前に、どうぞ感じの良い支援者になってください。」と呼び掛けている。

要領よく仕事をサクサクとこなし、仕事が手早いことは良いが、それだけで利用者は幸せにはならないのだ。多少要領が悪くても、仕事の手が遅くとも、人当たりが良くて、その人がいるだけで何となく空気が和らぐ・・・そんな人が側にいてくれた方が、人の心は和いで、幸せを感ずることができるのだ。

介護という仕事が、そうした職業であることを誇りに思いたい。人の幸せを運ぶ行為を介護と呼びたい。だから世の中の流れに乗って、先進的で優れた介護を行っていると言われながら、その陰に涙にくれる人を隠してしまうよりも、世の流行には載っていないかもしれないけれど、目の前の利用者からは、常に感じよく思われる介護のありようを創りたい。
誰かを慰める花でありたい・・・。

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