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第137回 認知症基本法の成立は日本の恥の文化の象徴かもしれない

2023/08/07

6月14日の参院本会議で、認知症基本法が全会一致により可決・成立した。この法律は、「認知症の人が尊厳を保持し、希望を持って暮らすことができるよう、施策を総合的に推進する」としている。しかし、これは自慢できる法律ではないと思う。平等主義や基本的人権の根拠ともなる「尊厳」について、認知症の状態の人も、それを保持しているとして、立法化して保護する必要があるということは、この国の実態として、いかに認知症の人の尊厳が無視され、人として尊重されていない場面が、垣間見られているという実態を、表わしているともいえる。

しかも、この法律の目的の一つが、「認知症の人との共生社会を目指す」ことであるという。人はどのような状態であっても、社会の中で他者と共生するのが、当然であるにもかかわらず、あえて認知症の人との共生社会の実現を、目指す法律が必要だということは、我が国のどこかで、認知症の人が、認知症ではない人と共生できていない状態が、存在するということだ。しかも、そのことが、必ずしも世情に精通していない政治家の目にも見える形で、存在しているという意味である。

そういう意味では、この法律は我が国の恥の象徴ともいえるのかもしれない。そして、そうした恥の文化を創り上げているのが、対人援助の場で顧客である利用者に対し、「タメ口」で接することを、恥と思っていない介護従事者の存在である。それらの輩は、顧客に対し失礼極まりない「タメ口対応」を、恥と思わないばかりではなく、その言葉が「親しみ」を表わす言葉だと誤解している。しかし、タメ口とは、「年下の者が年長者に対等の話し方をすること。」であり、顧客に対しては、失礼な言葉遣いでしかない。そんなふうに、「タメ口」という日本語の意味と使い方を知らない輩が、介護業界には数多く存在しているのだ。

お客様に丁寧に接しつつ、なおかつ親しみを持ってもらえる接客という行為ができない輩が、家族と同じように遠慮なく、ぞんざいな態度で接することを、「家庭的で親しみやすい態度」と勘違いしてふるまう・・・、そのような介護のプロにあるまじき、失礼で素人としか言えない対応に、終始する頭の弱い連中が、認知症の人の尊厳を無視して、認知症でない人と差別して接する風潮を生んでいるのではないか・・・。

本来、認知症の人たちが、社会の中で共生するなんてことは、法律で定められて実現するような問題ではない。私たちが人に冠をつけて、曇った目で見ようとしなければよいだけの話だ。認知症の〇〇さん、重度障害の○○さん、要介護の○○さん・・・そうした冠をつけずに、ひとり一人が、個性ある人間であるという目で見つめ、個性ある一人一人の人間に、人としての愛情を注いで触れ合うという基本を、崩さなければよいだけの話である。それができないのだから、法律でがんじがらめに、人を縛らねばならなくなる。

さすれば、マナーに欠ける対応に、終始する介護事業関係者を変えるためには、倫理や道義と言った観念論ではなく、罰則を伴うルールが必要になるのだろうか。例えば、身体拘束を廃止すために、それを実現できない事業者に課した、「身体拘束廃止未実施減算」を手本にして、「マナー欠如減算」が介護報酬に、新設される必要があるのだろうか・・・。

しかし、それこそ恥の上塗りである。顧客に対してマナーをもって接することができない恥と、それを減算ルールでしか正すことができない恥である。そのような恥ずべき事業に対して、税金と保険料という公費を、投入しつづけることに、果たして国民が嫌気をさすことはないのだろうか。そこが一番懸念されることである。認知症の人を、法律を定めてしか護れない国であるという実態を、私たち介護関係者は、自分の日ごろの仕事ぶりを振り返って、考えていく必要があるのではないか。

法律や法令ルールは、所詮、人が創る文章でしかない。そこから漏れたものは、すべて許されることではないはずだ。だからこそ、法律や法令ルール以上の戒めが、私たち自身が、他者を思いやる心から、発せられなければならない。それは法律を超えたものであり、人としての生きる道であるはずだ。それを忘れてはならないと強く思う。

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