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第129回 介護支援専門員に役割だけを求めるのはおかしい

2023/01/30

2016年〜適切なケアマネジメント手法の検討が始まったが、それによって介護支援専門員の法定研修のカリキュラムやガイドラインが新しく定められることになっている。そこではケアマネジャーに対して、本人支援はもとより、世帯全体のバランスへの配慮も社会的要請となっているとして、「仕事と介護の両立支援」や「ヤングケアラー支援」なども役割として求められるとされており、それに基づいて法制度の理解、他制度と自らの制度的関係や責任、関係機関の特徴や連携方法などの知識を備えることが求められている。

社会のニーズ変化に対応して、介護支援専門員に求められてきた新たな社会的要請にきちんと応えた役割を果たす必要があるというわけだ。それは良い。団塊の世代という日本の高度成長を支えた人々が、高齢者介護サービスの顧客層の中心を形成するようになって、ニーズも多様化し変化しているのだから、それに合わせた役割を担う必要はあることに異議はない。そのための知識や技術も必要とされるだろう。・・・しかしである。

役割だけ求められて、「はい、その通りですね」で終わってよいのだろうか。介護支援専門員は、ケアマネジメントの専門知識と専門技術を持つソーシャルワーカーであり、その資格は都道府県知事から免状をもらっているとしても、国家資格であることが明らかにされている。(参照:ケアマネが国家資格かどうかなんて国民は興味なし。)

国家資格をもって働く対人援助のプロが、介護支援専門員であるということになる。つまり我々はボランティアではなく、プロとして利用者に向かい合っているのだ。当然ながらプロフェッショナルとは、金銭で出力する者という意味である。そうした立場である者に対し、役割だけを求めて対価を与えないことは許されることだろうか。

僕はそんなことはあり得ないと思うし、許されないと思う。きちんと役割に応じた対価を支払えと言いたい。にもかかわらず、そうした声が、介護支援専門員実務者から挙がってこないのはなぜだろう。役割を求められるだけで、対価を与えられないことに対して、抗議もせず文句も言わない介護支援専門員とは、あまりにもお人よし過ぎると思う。

「仕事と介護の両立支援」も、「ヤングケアラー支援」もその役割を担うことは大いに結構だ。そのために勉強しなければならないことはたくさんあるから、頑張ろうと思う。しかしそうであるなら、それは現在の居宅介護支援におけるケアマネジメントの一環として行うのではなく、別途にその支援に必要な資金を含んだ対価を、得られるようにしなければならないのではないだろうか。

それがない中で、役割だけ増やされることは、結局、国のいいように介護支援専門員が、小間使いされるだけの結果に終わると思う。このことは僕のような個人が、指摘する問題ではなく、もっと大きな声の塊になって国に、届けないとならないと思う。介護支援専門員の職能団体は、いったい何をしているのかということだ。

ボランティアが腐っていく理由のほとんどは、金銭が介在しないからだ。仕事に正義感など持ち込むから成長もしない。介護という職業に対し、声高らかに奉仕の精神と正義感を求め続ける限り、それが目指す目的や目標は、限りなく幻想化させられていく。そこにおける理念や理想も、目指すべき近い将来の到達点ではなく、幻想の産物でしかなくなる。

それではダメなのだ。介護サービスの利用者に、高品質で適切なサービスを提供し、その暮らしを守るためには、プロ意識に基づいて、貰っている対価にふさわしい仕事をしなさいということに尽きるのだ。それが介護事業者と労働者と利用者の3者ともに、ウイン・ウイン・ウインになるための唯一無二の方法論である。実績のある介護支援専門員の経験値の共有化が最大の課題とされており、その課題をクリアして、介護支援専門員全体の質の向上・質の差の最少化が求められているが、そのためには仕事に見合った対価を、同時に考えていかないとならないと思う。

ボランティア精神満載の技術なんて継承・共有化されるわけがないのである。

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