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ユニバーサルデザインが描く未来

執筆者:鴨志田 厚子
鴨志田デザイン事務所代表、静岡文化芸術大学デザイン学部教授
東京芸術大学卒業後、静岡県工業試験場意匠課を経てデザイナーとして独立。理論だけではなく、実際の製品デザインやフィッティングデザインでユニバーサルデザインを実践。
外部デザイナーの先駆者として、内田洋行の商品を数十点デザインし、ユニバーサルデザイン基準設定を監修。

人生100年で設計する社会へ向けて

立ち遅れている日本のユニバーサルデザイン

ユニバーサルデザインという言葉こそ1990年に出てきたものですが、北欧などでは言葉以前からユニバーサルデザインの考え方が進んでいます。12年ほど前、フィンランドのデザイナーに「バリアフリーのデザインについてお話ししてください」と依頼したら、「今さらバリアフリーって何ですか」と言われたことがあります。北欧では当たり前で、それだけでは問題にはならないくらい進んでいるんですね。
それは、北欧では700年に及ぶ長い戦争の歴史があり、負傷帰還兵を受け入れていく社会を整備しなくてはならなかった、という背景があったようです。また、欧米では民主主義の根本である人権尊重の意識が強く、戦後、アメリカから大急ぎで民主主義を輸入した日本とは異なるという面もあります。
その結果、日本では欧米流なら何でもよし、大量生産大量消費、たくさんのモノが売れればよいという考え方で長い間モノ作りが推し進められてきました。ユーザーは置き去りにされ、生産性重視で、本当に日本人に合ったものを作ることは後回しにされてきました。個人の違いを意識してモノづくりをするユニバーサルデザインの考え方とは対極です。そんな歴史的・文化的背景が日本へのユニバーサルデザインの根付きにくさの要因となっていました。

賢くなったユーザー、高齢社会の到来

しかし、ここ数年、日本でもようやくユニバーサルデザインが注目されはじめました。一つにはバブルがはじけたこと。それまではコストを安く生産性第一、規格通りに作っていればモノは売れました。でも、バブルがはじけてユーザーも賢くなった。右へならえがなくなり、自分に本当に合うのか、それが本当に欲しいのか、考えるようになりました。
もう一つは、高齢社会の到来。人生50年ではなくなり、80年、100年の人生を考えなくてはならなくなった。私たちの身の回りのモノは、日常生活の道具にしても、街にしても、たいてい人生50年で設計されています。それが人生100年になった。手当ては50年まで。あと半分は手当てがない状態なんです。モノも社会も従来の規格どおりではいかなくなり、人生100年を想定して作っていかなくてはならない時代になってきています。

あらゆるユーザーを想定してモノづくりをする時代

60才を過ぎたら、今まで使っていたものが使えなくなるのではイヤでしょ。使いたいと思っても握力や視力などが低下して使いづらくなり、特別なモノを使うしかなくなってしまう。それがカッコ悪いデザインだったらなおのこと「NO!」と言いたくなります。
日本はすでに高齢社会に入っていて、しかもユーザーはデザイン感覚も鋭く、本当に欲しいものしか買わなくなっている。この市場変化が、日本でもユニバーサルデザインが注目される糸口になりました。ここまで来るのに50年かかったといえますね。戦後、畳でちゃぶ台の日本の暮らしが、急速に欧米化しアメリカンスタイルに一生懸命合わせてきましたが、ここにきてちょっと待てよと。本当に自分たちにとって使いやすいものって何だろうか、と考えるようになりました。その一つの動きが、ユニバーサルデザインに通じているということができます。

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