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コラム

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心の耳で聴くユニバーサル社会へ

執筆者:松森 果林
神奈川工科大学福祉システム工学科ユニバーサルデザイン非常勤講師、共用品ネット会員
株式会社ピクセン商品企画顧問として、香りを使ったユニバーサルデザインの開発に取り組む。E&Cプロジェクトでの内田洋行商品企画部メンバーとの出会いをきっかけに、製品へのアドバイスなどもいただく。
著書『星の音が聴こえますか』(筑摩書房)、芳賀優子さんとの共著『ゆうことカリンのバリアフリー・コミュニケーション』(小学館)など

聞こえないって、どんなこと?

情報障害

以前会社勤めしていた時、取引先のビルに入ると大勢の人が右往左往し、ハンカチを口にあて、消防隊員があちこちで誘導していました。火事か、事件か?!ちょうど地下鉄サリン事件が起こったばかりの頃でした。何かあったのだと思って、もう半泣き状態で皆と一緒に逃げていたら、実は避難訓練でした。『逃げまどう人大賞』があったら私は絶対優勝していたと思います。
聴覚障害は外部からの情報が入ってきにくいため情報障害とも言われています。話しかけられても気づかない、電話やテレビ、目覚まし時計の音が聞こえない、駅のアナウンスが聞こえない、背後から来る車や自転車の音が聞こえない、非常ベルが鳴っても気づかない…。音の情報が聞こえずに、身の安全や生活に必要な情報を知ることができないだけでなく、情報があること自体を知らないまま生活しているケースも多くあります。

コミュニケーション障害

私は小学4年から高校にかけて少しずつ聴力を失いました。小学4年の時、右耳が聞こえなくなり、中学の頃から左耳も難聴が進み、高校2年のある冬の朝、私の世界からほとんどの音が消えました。耳が聞こえないことで最も辛かったのは、思いを伝え合うことができないということでした。中学の頃は友人の話が聞こえず、でも聞こえていないことを知られたくなくて曖昧な返事をして周りから変な人と思われていたと思います。高校では友だちとは主に筆談でおしゃべりしていましたが、先生の授業の声が聞き取れず成績はガタ落ち。好きな人がいても、その人が何を話しているのかわからず、うまく会話ができなかった苦い思い出もあります。その頃の私は、うまくコミュニケーションがとれないために周囲から孤立してしまう、まさにコミュニケーション障害の状態にありました。

人生の転機

そんな私の状況を大きく変えたのは、筑波技術短期大学という聴覚障害者のための大学での出会いでした。高校まで私は他の聴覚障害者の存在を知らず、周囲の人に助けられながら田舎の普通学校に通っていました。大学など特別な人が行くところと思っていましたが、高校の先生に勧められるまま学校見学へ。そこで出会ったのがデザイン学科担当の、今は亡き松井智先生でした。
先生は父と一緒に行った私に直接手話を使って話しかけて下さいました。父ではなく、私に。私は、松井先生の私自身に向けられた手の動きに魅了されていました。それまで押しつぶしていた自分自身が浮き上がってくるようでした。「松井先生のもとで勉強するためにこの大学へ入る!」。その後の人生が決まった日でした。ここでならこれまで不可能だと思えたことが可能になる、そう確信したのです。

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