内田洋行の歴史

内田洋行、駆け抜けた100年

1910年(明治43年)中国の大連で創業した内田洋行。『洋行』とは、中国語で“外国人の店”という意味をもちますが、それと同時に、当時は多くの人々の挑戦意欲をかきたて、未知の領域に挑む、“フロンティアの気概”がイメージされることばでした。

  • 創業者 内田小太郎のパイオニア精神

    創業者・内田小太郎(宗主)は、1871年(明治4年)、多久藩(現在の佐賀県・多久市)の柔術師範の次男として生を受けます。明治維新で武士階級は崩壊、一家存亡の危機となり、内田小太郎はパイオニア精神をもって数々の挑戦を企てます。「富国強兵」「殖産興業」が叫ばれた明治26年、22歳で単身上京、逓信省・横浜郵便局に就くと、明治33年には日清戦争直後の台北郵便局に転勤して、台湾土地調査局の測量隊員となり台湾全土をめぐりました。帰国して日露戦争が勃発すると、戦地の鉄道野戦隊に志願して満州に向かいます。終戦とともに隊は南満州鉄道株式会社に引き継がれ、明治40年、36歳で満鉄社員となりました。

    宗主 内田小太郎
  • 1910(明治43年) 内田洋行の創業

    内田小太郎は、悲願であった内田家再興を目指して、38歳で満鉄を退職。1910年(明治43年)、測量技師の技術を活かして、満鉄の事業拡大に不可欠であった測量・製図器械を取り扱う満鉄御用商「翠苔号」(後の内田洋行)を、中国・大連で創業します。その後、1914年に青島支店を設立以降、満州を中心として、最盛期には支店・出張所が20箇所を数えました。当初は、欧米から「L.Cスミス・タイプライター」「ベイツ自動番号器」等、著名な輸入品を取り扱いました。


    • 測量器械


    • ニュートン製図用絵具


    • L.C.Smithタイプライター


    • ベイツ自動番號器械


    • 連鎖街の大連支店

  • 1925(大正14年)技術者必携と称された「ヘンミ式計算尺」と国産化の推進

    国内では、技術者必携とされた当時の先端的計算器「ヘンミ式計算尺」の国内総代理店となり、事業を拡大します。この展開により、“計算尺といえば内田洋行”と、国内で高い知名度を得ました。
    その一方、世界金融恐慌を契機に、1927年、事務機器の輸入禁止措置による国産奨励が高まると、国産初の「トーホー自動番号器」、国産最高級「パイク高級鉛筆」「ミレー洋画材」等、本物志向の高級オリジナル商品を、独自にPR誌を発刊して展開しました。


    • ヘンミ式計算尺


    • 内田洋行時報


    • 内田洋行総合型録 第1版


    • トーホー自動番号器

  • 1948(昭和23年)学校教育振興のために

    戦後の復興期には、普及につとめた「計算尺」が学習指導要領に採用されたことから、全国規模で代理店を募集し学校への提供を開始しました。しかし新学制で突如として計算尺が不採用となると、“科学教育に資するもの”として顕微鏡等の科学教材販売に転換。学校教員に理科実験の方法をとく「内田科学教材実験説明会」を全国の教育委員会と協力して開催する等により、学校現場の科学教育の普及に努めました。
    その後、学校教育の復興とともに、施設設備や教育情報化等の事業を、業界に先駆けて取り組みました。


    • 1948年『内田科学教材型録』


    • 内田科学教材実験説明会

  • 1953(昭和28年)業界に先駆け「ビジネスショウ」を開催

    パイオニア精神を引き継いだ内田憲民(初代社長)は、1953年、米国から持ち帰って製品化した「マジックインキ」、さらに当時製図器械で高度とされたドイツ式で開発した「ケントKD型製図器械」を次々に発表。さらに、1955年には、国産の手動計算機「タイヨー計算機」の販売を開始。業界初の実物展示会「ビジネスショウ」を考案する等、新たな事業開発に努めました。


    • ケント製図器械


    • ビジネスショウ

  • 1957(昭和32年)カシオ小型リレー式計算機の総代理店に

    1957年、世界初の小型リレー式計算機「カシオ14-A」を完成させたカシオ計算機と総代理店契約を締結しました。

    カシオ14-A
  • 1952(昭和37年)“事務能率の向上支援”に純国産初のオフィスコンピュータ「USAC」

    国内では未知の世界であった電子計算機分野に取り組むべく、1962年、電子計算機の開発に成功していたウノケ電子工業(石川県)に経営参加。純国産初の超小型電子計算機「USAC(ユーザック)」を発表します。その後もIC搭載機等を次々に開発したほか、業界で初めて、ハード・ソフト・保守サービス等のアンバンドリング(分離提供方式)やリース販売を進め、オフィスコンピュータの普及を図りました。

    1965年 USAC1010
  • 1963(昭和38年)事務作業の効率化のためにスチールデスク「システムデスク」

    OA化に伴い、働く場に専門的で高度な処理能力を持つ事務機器が求められるようになりました。スチールデスクは、木製デスクに変わって、官公庁・民間のオフィスに広く採用されるようになり、ニューモデル「システムデスク」が製品化され、その後、トータルシステムの思想を取り入れた製品を次々と市場に展開していきました。

    ニューモデル「システムデスク」
  • 1968(昭和43年)SEIKO卓上式電子計算機の総代理店

    1967年4月、日本で初めてオールICの電子式卓上計算機「USAC10B」を独自に開発。1968年、服部時計店との間で「SEIKO卓上式電子計算機S-300」の日本国内総発売元となりました。「S-300」は、日本で初めてのダイオード・トランジスタ理論回路を用いた科学技術用計算機で、大手企業の技術開発部門や大学、官庁の研究所部門で好評を博しました。

    SEIKO S-300
  • 1981(昭和56年)教育の情報化推進

    教育現場のコンピュータ化に際してコンピュータ教育システム「TES(Total Educational System) 」を発表。1984年、コンピュータと教育工学機器を融合したパソコン教育システム「CAI-ACE」の発売を開始しました。Visual & Voicecommunication をキーワードに、5つの領域(パソコン・語学・ワープロ・CAD・視聴覚)に分けてシステムを開発した、「CAI-ACE」は国産唯一のハード・ソフト一貫開発のパソコン教育システムでした。

    1984年 CAI-ACE
  • 1989〜(平成元年〜)知的生産性研究所、内田洋行教育総合研究所 設置

    1989年(平成元年)、知の創造を実現するための調査・研究・啓蒙を目的とする企業内研究所「知的生産性研究所」を設置、設立当初から一貫して働き方を調査・研究しています。また、1998年(平成10年)には、教育現場における長年の事業活動や、行政機関、研究機関との連携で培った知見をもとに、次世代教育のグランドデザインを描く「内田洋行教育総合研究所」を設置しました。

  • 1995〜(平成7年〜)ITビジネスの推進

    1995年、米国最大手ソフトウェアリセラーと提携し、後のウチダスペクトラムを設立したほか、1997年、ERP/基幹業務ソフトウェア「スーパーカクテル」を発売、1998年、マルチベンダーのシステムサポートを展開するウチダエスコが店頭公開する等、グループでITビジネスの推進を図りました。